AV女優「佐藤るり」のデビュー前から現在までを丸裸に

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AV女優「佐藤るり」のデビュー前から現在までを丸裸に
2004年〜2007年にかけて、Gカップの巨乳を武器に10本以上の単体作品をリリースしたAV女優、佐藤るり。自分の魅せ方を知っており、演技にも知性が感じられましたが、まさかその後、東大の大学院まで卒業して日本経済新聞社の記者となっていたとは。 文春砲によりAV女優としての過去が知れ渡ってからは作家・タレントとしても活躍しています。この記事では、そんな異才・佐藤るりについてまとめてみました。

AV女優「佐藤るり」のプロフィール

AV女優「佐藤るり」のプロフィール
生年月日 1983年7月13日
出身 東京都
スリーサイズ B:90cm(Hカップ),W60cm,H85cm (2006年時点)
女優タイプ 童顔巨乳、M女
総出演本数 64本
受賞歴 なし
現在 2007年頃に引退し、作家・タレントとして活躍中
これほどぶっ飛んだ女はAV業界どころか日本中のどこを探してもそうはいません。身体を売っていた過去をおおっぴらにできる豪胆さは頭良い人系のネジの外れ方です。 生年月日は1984年6月2日とされていましたが、「表」の顔である鈴木涼美名義では1983年7月13日生まれとされていますから、AV女優時代のプロフィールはフェイクでこちらが正しいと見るべきでしょう。 父は法政大学名誉教授の鈴木晶、母は翻訳家の灰島かりというスーパーインテリ一家に生まれ、チート級の頭脳を武器に特異な学生生活を送ります。 中学生の頃に宮台真司の著作を読み始め、文学少女として知識と教養を身につける一方で、1999年から2001年までは「ブルセラ少女」として、労せずお金を手にする高校生活を過ごしました。 まず「宮台真司って誰だよ」って感じですよね。調べてみると小説家ですらなく、社会学者だそうです。
「ギャルが遠藤周作を読んでたら、おもしろくないですか?だから、かばんにいつも古典を持ち歩いていたんです。いかに自分ならではのポジションをつくるか、狙っていました」 引用:キャリアハック「東大卒・AV女優から新聞記者を経て。鈴木涼美の「文章」で食っていくための戦略」
その後、慶應義塾大学環境情報学部を卒業し、東京大学大学院学際情報学府の修士課程を修了しますが、その間にAV女優としてデビューします。 下ぶくれ型の丸っこくて可愛らしい顔と肉感的な身体を活かし、企画系女優として当初は童顔系作品、後半は過激なSM作品を中心に活躍しました。 2008年の引退後は首尾よく東大大学院を2009年に修了し、同年、日本経済新聞社に入社。5年半勤めた後、週刊文春が「日経新聞記者はAV女優だった!」と題した記事を掲載します。 直後、佐藤るりは日本経済新聞社を退職。文春砲を被弾し、エリート街道から転落した彼女は嘲笑の的となってしまいました。 しかし、そこからが佐藤るり改め、社会学者・鈴木涼美氏の本領発揮です。AV女優をはじめとする「夜のおねえさん」を題材とした著書を何冊も出版し、いずれもベストセラーとなりました。 今や、アダルト業界で働く女性に関しては学会でも第一人者として認められたと言っても過言ではないでしょう。テレビへの出演も増え、今ではAV女優時代を上回る活躍を見せています。 現役時代の彼女の代名詞といえば「Gカップの巨乳」でしたが、どうやら頭脳も「Gカップ級の巨脳」だったようです。

AV女優「佐藤るり」の重要トピック5選|デビューから現在まで

エリート才女でありながら、AV業界が発掘してしまい、逆にAV業界を研究するようになってしまった異才・佐藤るり。その生き様をあらためて振り返ってみましょう。

2004年「AV女優としてデビュー」

2004年「AV女優としてデビュー」 高校は明治学院、大学は慶應義塾大学、大学院は東京大学大学院と、カズ〇ーザーも宇〇原もしのぐほどの高学歴タレントとして活躍する鈴木涼美氏は、「自分ならではのポジションを作る」というスタンスで高校時代からやんちゃを続けていた大学生時代に「佐藤るり」名義でAV女優としてデビューしました。 デビュー作は2004年11月30日リリースの「BOMBER 佐藤るり」。しかし当時の筆者は1日中エロ動画ばかりみていたはずですが、まったく記憶にありません。 FANZAでのレビューも後述する文春砲後に書かれたものが多く、この頃の知名度はそれほど高くなかったはずです。佐藤るりの現役時代中(2006年)に書かれたレビューが一つだけあったので紹介しておきます。
危険な爆弾娘 自ら「非の打ち所がない」と絶賛する「パーフェクト巨乳」。「とにかくみんなに観てもらいたい」 「バコバコやられて壊れたい」と爆弾発言を連発。ここまで淫乱だと逆に観ていてさわやかな 気持ちになってくる(笑)。体だけではなく、発想もダイナマイト級。この爆弾娘は要注意である。
「この爆弾娘は要注意である」という一言にレビュアーの先見の明が光ります。 ともあれ、ブルセラ少女だった彼女は性産業のコストパフォーマンスの良さに惹かれてか、ホステスなどの水商売を始め、その時期にAV女優のスカウトと付き合ったことがきっかけとなって「面白そうだから」という理由でAVデビューを果たしました。 当時の彼氏とされているAV女優のスカウトですが、もともと恋人として大切にするよりはAVデビューさせるために佐藤氏に近づいてきたのでしょう。 まあ、本人もうすうす感づいてはいるでしょうが。やってしまった若気の至りを後悔しつつも事実を認めたうえで開き直るという豪胆さが鈴木氏にはありますね。 なにかと炎上しやすい現代での情報管理として正しい対応ですが、なかなかできることではありません。 なお、デビューの単体作品のギャラは80万円だったと公言しており、それは将来身内にバレるリスクもコミコミでの報酬だったということは後になって理解したことだと、鈴木氏自身が認めています。
どんな仕事の対価も、シンプルな一つの労働に対して支払われているというより、その人の現在(その労働や時間)、過去(学歴や顔など)、未来(その仕事の将来的なリスクなど)に対して支払われているというのはそれなりに妥当な考えだ。そして、AV嬢は他の仕事に比べて、もらうお金に対する「未来への対価」の割合がことさら大きい。それに比べれば、現役時代に支払った代償なんて大したことないと思えるほどに。 (中略) 若干むしゃくしゃした気分で蹴っ飛ばした石が延々とはねっかえり続けて、自分の顔面や親の脇腹や恋人の後頭部にぶつかり続けて、10年以上経った今も、ビュンビュンと飛び交っているような感じ。時々それはまた私の顔面に直撃して鼻血をブーブー飛ばしたり、頭をクラックラさせたりする。そんな気分で私は生きている。 ぶつかる度に私は、「この痛み、この悲しさがないなら何で100万円もらえると思ったの? 自分の顔に身体にそれだけの価値があるって思ったの?」と19歳のワタシを恨みがましく叱る。何にお金が支払われるのか、もうちょっと考える時間はなかったの? と。 何でそんなことがわからなかったの、バカなの? バカなのは知ってたけどさらにバカなの? 引用:CERON「私のAVデビュー作のギャラ100万円は、何に対して支払われたのか」で食っていくための戦略」
ちなみに、この頃の佐藤るりは「童顔巨乳」で売り出されていました。 ネット検索で最初に表示される画像はひぐらしが号泣するレベルのブサイクカットなので「嘘だッ!」と言われそうですが、これは2時間半に及ぶ大長編の中でも特にインパクトの強いブス顔が出回ってしまった結果です。 当時は現在ほどにはAV女優の社会的地位も高くなく、言ってしまえばルックスのレベルも全体的にそれほど高くなかったこともあり、当時のAV業界内で佐藤るりは「普通に可愛い」くらいの女優さんでした。

2006年「M女として本格SMモノへの挑戦が激増する」

2006年「M女として本格SMモノへの挑戦が激増する」 自慢の巨乳と若さを武器に順調に作品数を伸ばしていた佐藤るりでしたが、どこかで覚醒したというか、理性がはじけ飛んでしまった瞬間があったようです。 あるいは、当初の売り出され方(童顔系)では限界があると見切りをつけたところもあるのかもしれません。2006年1月7日リリースの「電脳調教」をきっかけに、本格SM作品への出演が激増します。 今ではSMモノとされていても単に緊縛して電マか何かでイカせる程度か、多少本格的であっても目隠しをしたりスパンキングがあったりというところですが、当時のSMモノはガチでした。 流血や失神は日常茶飯事でした。「先端にカミソリを仕込んだ鞭で緊縛した女優の全身(顔以外)を血まみれにしていく作品」や、「数十秒にも及ぶ水責めと下半身への快感責めとを同時に行うような作品」もありました。 かなりマニアックなエロ動画を愛好する筆者でも引いた作品だと、「両手両足の自由を奪われて、まぶたを瞬間接着剤で閉じられた状態で、乳首やクリトリス、さらには肛門といったありとあらゆる粘膜にタバスコを塗りたくられる作品」もありました。 詳細は割愛しますが、2004年の「バッキー事件」は作品が過激化しすぎて女優に傷害を負わせてしまい、裁判沙汰にまでなった事例です。 自身の意志とは無関係に与えられる理不尽で耐え難い痛みの中に快感を見出すという本格派のSMが「表ビデオ」として映像化されていた時代でした。 佐藤るりと2度の共演(「燃えるゴミ女 凌辱発火点 佐藤るり」と「蛇縛の極道挽歌2 佐藤るり」)があった緊縛師・乱田舞氏の作品は特に強烈でした。佐藤るりの肉体は縛りとの相性も良いのでSM好きな方は是非ともご視聴ください。 さて、偶然かもしれませんが、M女路線への転換は佐藤るりに有利に働きました。2006年はミニマムボディ界の神とまで称される「つぼみ」がデビューした年でもあり、この頃からAV女優の美少女化は一気に進みました。 「アイドル級の」という形容詞はもはやAV業界で陳腐化しつつありますが、アイドルとしても売り出せそうな「夜の女」っぽくない美少女がAV女優となり始めたのはこの時期ではないかと思われます。 結果、美少女系のAV女優は爆発的に人気を集め、今では業界を席巻するに至っています。そうなると、童顔系がもてはやされる業界で佐藤るりが自分の市場価値を高めるためには、自分が童顔系であり続けることができるジャンルに転向するというのが最もシンプルで簡単な答えです。 当時、SM系の作品に20歳前後の女優が、それも、単体作品も出せるレベルのルックスを備えた女優が出演することは稀でした。首尾よく、佐藤るりはその後も数年間に渡って多数のSM企画へのオファーを得ることができたわけです。 計算高い女だと分析するのは簡単ですが、M女としての才能もハイレベルだったようですからいろいろとぶっ飛んでいます。デビュー作から「バコバコやられて壊れたい」という発言はありましたしね。

2006年 or 2007年「東京大学大学院に進学」

2006年 or 2007年「東京大学大学院に進学」 慶應義塾大学を卒業した佐藤るりの頭脳はさらに上を目指します。日本の最高学府、東京大学大学院へと進学し、社会学のさらなる研究に励みました。 この時期にAV女優を続ける傍らで地道に続けてきたフィールドワークが現在の文筆業の基礎となっており、鈴木涼美氏の何よりのメシのタネとなることを、この時点で彼女自身が分かっていたのでしょう。 企画作品にも好んで出演するようになります。より多くの女優・スタッフと交流することで、AV業界に生きる人々のありのままに触れようとしていたことがうかがえます。 ちなみに、高校卒業が2002年で大学院修了が2009年とされていますが、その間の年月はあまり公にはされていません。大学は卒業まで最短で4年、大学院(修士過程)は最短で2年ですから、どこかで1年間、留年あるいは浪人しています。 ただし、修士論文は雑誌への掲載などタイミングに恵まれなければ自力だけでは書けませんから、別に恥じることでも何でもありません。 学界の第一人者となるような文化人でも「単位取得退学」(修士論文が書けなかった)ということはザラにありますから、この一事をもって鈴木涼美氏の評価を落とす要素とはなり得ないでしょう。 AV女優としての活動では、2006年から2007年にかけて「電脳調教」シリーズと、代表作ともいえる「ひぐらしがなく頃に」がリリースされており、佐藤るりの全盛期とも呼べる時期となっております。 そして、あまり知られていませんが、この時期に中絶手術も受けていたとか。なんかもう賢すぎるのか後先考えていないのか行動が紙一重です。

2009年「日本経済新聞社に就職」

2009年「日本経済新聞社に就職」 2009年4月、佐藤るりは日本経済新聞社へと就職しました。誰もが知る経済紙を作っている会社ですね。エリート街道まっしぐらです。その後、会社勤めは5年半続きました。 大学院も卒業し、そつなく大手新聞社に就職した佐藤るり改め鈴木涼美氏ですが、この頃になってとうとう学生時代のやんちゃの「対価」を支払うことになってきます。 2010年、AV女優が避けては通れないイベントである「親バレ」が発生してしまいました。エリート一家ですし、両親ともに社会的地位のある人でしたから、AV出演という行為に対する理解は得られなかったようです。
「私はあなたが詐欺で捕まってもテロで捕まっても全力で味方するけど、AV女優になったら味方はできない」 元AV女優で元日本経済新聞記者という異色の経歴をもち、現在は作家として活動している鈴木涼美は、先日出版したエッセイ集『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』(幻冬舎)のなかで、AV出演の過去が家族に知られた結果、母から上記のような言葉をかけられたと明かし、読者を驚かせた。 引用:LITERA「AV親バレ問題で浮き彫りになった鈴木涼美と紗倉まなの違い…AVへの嫌悪を受け入れる鈴木と偏見に抗い続ける紗倉」
まあ、どこにでもいる「娘を想うがゆえに頭の固い母親」ですが、気持ちは分からなくもないです(実際には、もっと厳しいことを言われていますので、興味のある方は元記事をご参照ください)。 さて、佐藤るりの両親がAV出演の過去を知ったきっかけは、「元恋人が振られた腹いせにメールでバラした」という、なんとも情けない話です。 佐藤るりって高校時代の友人がブルセラ少女だらけだったり、大学時代の彼氏がAVのスカウトマンだったり、あんまり周囲の人間には恵まれていないんですけど、恵まれていたら多分AV女優にはなっていないんでしょうね。 実は2010年頃にはすでに家族や一部の親しい人間に佐藤るりの裏の顔は知られていたというのが、4年後の文春砲に繋がってきたものと思われます。 日経新聞社内でも「キャバ嬢」などと呼ばれていたようですし、佐藤るり自身も息苦しさは感じていたようです。同僚か振られた元恋人か、佐藤るりの存在を快く思わない人物からのタレコミがあった可能性は否定できません。 そして、仕事に余裕ができた2013年6月24日、社会学者としてのAV業界でのフィールドワークから得られた成果をまとめた「AV女優の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」を出版。 この年、「紀伊國屋じんぶん大賞」では第29位に、『ダカーポ』による「今年最高の本」第7位に選出され、アダルト業界を評する社会学者として第一歩を踏み出します。

2014年「新聞社を退職」「文春砲によりAV女優としての過去を暴かれる」

2014年「新聞社を退職」「文春砲によりAV女優としての過去を暴かれる」 佐藤るりの人生において、最大のターニングポイントとなった年でした。 鈴木涼美氏についての記事でよく見かける勘違いに、「文春砲でAV女優だった過去が会社にバレて仕事を辞めざるを得なくなった」というものがあるんですけど、氏のインタビューや本人の執筆した記事によれば、正確な時系列は以下の通りです。 41449 日経新聞社の整理部(紙面の編集)にいた頃、時間に余裕ができたため「AV女優の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」を出版 2014年8月〜9月頃 日経新聞社を退社し、文筆家として独立 2014年10月初旬(おそらく5日頃) 文春の記者より連絡があり「取材を受けるしかない」状況下で取材を受ける 41921 週刊文春に「日経新聞記者はAV女優だった! 70本以上出演で父は有名哲学者」と題された記事が掲載される
日経を辞めてから1か月後くらいでしたかね、“文春砲”を食らったのは。当時、文芸春秋社が出している「文学界」っていう雑誌があったんですが、その編集者から、「月刊の『文芸春秋』が連絡先を教えてほしい」という連絡があったので、いいですよと答えたんです。程なく連絡がきたんですが、多分、向こうは「週刊文春」と名乗ったんでしょうけど、私は月刊の「文芸春秋」の編集者からだと勘違いしていたんです。日常会話のように「そういえば日経辞めたんですよね」「元AV女優だったんですよね?」と会話が進み、気付けば事実の裏とり作業に付き合ってました。 その時点で記事は出来上がっていて、「取材を受けてくれれば違うところは訂正する」と言いだしたから、そりゃ、取材を受けるしか選択肢はなくて、新宿のバーガーキングで取材を受けましたよ。それで「日経記者は元AV女優だった!」の記事が出来上がったというわけです。 引用:東スポWEB「【鈴木涼美・連載9】日経を辞めて1か月後くらいに“文春砲”が…」
ちょうど会社を辞め、守ってくれる組織がなくなったタイミングを見計らっての文春砲。このタイミングで、強引に取材に応じさせた上で記事を発表すれば日経新聞社から訴えられることもないという鮮やかなスッパ抜きでした。 鈴木涼美氏の母親・灰島かり氏は2010年に佐藤るりとしての娘を知ったとき、「身体やオンナを売るっていうことはさ、お金はもらうけど、それで何かを売り渡してはいるけど、それでも身体もオンナも売る前と変わらずあなたの手元に残るからね、だから一生消えないと思うのよ」と、娘を叱っていました。 一生消えないという指摘は正しいものです。過去は消せませんから、鈴木氏は佐藤るりとしての経歴を否定することはできません。だからこそ、文春の強引な取材にも「せめてウソを書かれないように」応じるしかなかったと言います。 この直後の鈴木氏の寄稿などには若干のヤケクソ感すら漂います。
文春が報じたとき、鈴木涼美さんも、「その日から軽くパニック状態で走り回ったり引きこもったりしていた」そうだ。 引用:JCASTニュース「AV出演の元日経記者が書いた寄稿が話題に 「論旨不明」なのか「読ませる文体」なのか 」
まあ、人生いろいろありますよね。AV女優ならなおさら。 しかし、結果として、この時期に出版した著書はベストセラー。文壇にも芸能界にもポジションを争うライバルがおらず、独自のポジションを確立するに至ります。終わってみれば、無名だった社会学者・鈴木涼美氏の知名度を上げただけ。 苦しんでもそれを受け止めて開き直ってしまうのが彼女のすごいところです。ドMの鑑ですよ。 社会が非寛容になったと嘆かれる世の中で、「AV女優の過去問題」にとどまらず、「ネット炎上」「プライバシー」「女性の生き方」など、実は様々なテーマで社会問題の最前線を突っ走っている研究者なんですよね、この人。 佐藤るりという生き方を道を踏み外した元エリートだと嘲笑するか、それとも前向きに生きる人間だと評価するかという点には、その人の人生観が表れるような気がします。おそらく、鈴木氏はそのどちらも否定しないことでしょう。

AV女優「佐藤るり」プライベート生活を丸裸に!SNS画像・動画を紹介

そんな佐藤るりの現在の私生活についても調べてみました。twitterやブログで頻繁に情報を発信してくれているので、興味のある方はフォローしてみるのも良いと思います。

タトゥーあり

現在は少なくとも腰と背中の2箇所にタトゥーを入れているようです。

友達は少ない

性遍歴には事欠かない彼女ですが、友人とのツーショットなどはほとんど発見できません。99%近くが仕事仲間か自撮りです。 たまにこういうテンションのツイートもありますね。セックスできる人がいるだけイイじゃんって思ってしまうのは筆者が男性だからでしょうか。 でも、(しれっと悪行を告白しながら)高校時代の友人との交流は続いていることが確認されています。

交友関係は広め

タレントとしても活躍しているためか、芸能界に交友関係が広いようです。 男女漫才コンビ「相席スタート」の男性の方(ツッコミ)とのツーショットです。 千原ジュニアからはこんなコメントをもらえる仲のようです。
 
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はあちゅう氏とのツーショットは多数ありました。仲も良さそうです。まさか、しみけん と下半身で繋がったことのある 繋がりでの交流でしょうか。 仲が良い友人としては、五月千和加氏が頻繁にSNSに登場します。
 
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五月氏も日本舞踊五月流の家元なのにギャルということで、「名門のやんちゃ娘」なところが佐藤るりと共通しています。年齢は10歳近く離れていますが、月に一度は一緒に食事に行くようです。 AV業界の関係者とは今でも交流があるようですが、最近の女優さんとの絡みはほとんどなく、SNSでもプライベートでの付き合いなどは確認できませんでした。 紗倉まなとは第三者(紗倉まなの主張を勝手に代弁するライター)を介して間接的に論戦となっていることもあります。あまり意識している風ではありませんが、少なくとも社会学者として佐倉まなを研究対象とする鈴木涼美氏は見解の対立を認識していると思われます。 紗倉まなの理想はこちら。
紗倉は前述『MANA』のなかでこんなことも綴っている。 「AV出演=人生崩壊」というイメージを払拭できたら。偏見という厚い鉄製の壁を壊す作業を、今はアイスピックくらいの小さい工具でほじくっているような気持ちです。 引用:LITERA「AV親バレ問題で浮き彫りになった鈴木涼美と紗倉まなの違い…AVへの嫌悪を受け入れる鈴木と偏見に抗い続ける紗倉 (既出)」
一方の佐藤るりは以下の通り。
私は常々、AVへの偏見がなくなったらギャラは暴落する気がしますけど、それでもその方がいいのか、という主張をしてきたし、根本的には今もそう思っている。 引用:文春オンライン「私のAVデビュー作のギャラ100万円は、何に対して支払われたのか(既出)」
まあ、どちらの主張ももっともですし、「現役中」か「引退後」かというのも大事な点なので見解は違って当然でしょう。ここで答えが出る問題でもないのでこのへんで。 思想というか人生観は、作家でエッセイストの中村うさぎ氏に似ているように筆者は思いました。ライトノベル「ゴクドーくん漫遊記」シリーズで大ヒットを飛ばし、ブランドモノにハマってしまい、いわゆる「普通の暮らし」ができなくなってしまった方ですね。非常に闇の深い両名による対談が交わされました。

AV女優「佐藤るり」噂の恋愛・プライベートセックス事情は?

ついでに、爆弾娘と呼ばれた佐藤るりの男性遍歴を詳しく探ってみました。

学生時代はやりたい放題

学生時代はやりたい放題 ワンズファクトリーからリリースされた「透けフェチBODY 佐藤るり」という作品の中で自らの悪行について語ってくれています。学生時代はやりたい放題していたようですね。
元日経新聞記者ということで話題の佐藤るり。その佐藤るりさんが22才のときのインタビューです。 本編AVの紹介文には「現役大学院生」とありますので、東大大学院生時代ということになりますね。学生時代のSEXについて赤裸々に語っています。 遊園地のジェットコースターに乗ってドーパミンが出た状態でSEXしたらすごく感じるんじゃないかと思って試したというリア充感あふれるエピソードや、彼氏に別の女とヤってる最中に電話してきてほしいというネトラレ願望などとてもおもしろいです。 実際には佐藤るりが男を寝取って彼女に電話させるというドSな寝取り性癖も語っています。 引用:痴女同盟「佐藤るりが学生時代を赤裸々に語る! 透け乳インタビュー。」
中絶手術を受けたのもこの時期(22才の頃)でしたね。滅茶苦茶セックスしてます。

社会人になっても「女」を出しまくり

日本経済新聞社に在席していた頃のニックネームが「キャバ嬢」だったことが示す通り、目立つ格好で必要以上に「女」を使おうとしていたようです。
AVに出演していた女性記者は、佐藤るりクン(女優名)。慶応の環境情報学部を卒業後、東大大学院に進み、09年に日経に入社。6年半勤めて先月退社した。長らく都庁クラブで都政を取材していたという。都庁クラブに籍を置くライバル紙の記者が言う。 「とにかく目立つ記者でした。おっとりした雰囲気なのにボディコンみたいな服装ばかり。胸の谷間を強調するような格好も多かったですね。男性記者は目のやり場に困っていましたが、デレデレ鼻の下を伸ばしている都庁の役人もいました」 引用:日刊ゲンダイ「AV出演70本以上 東大卒「元日経美人記者」の仰天過去」
  お固い新聞社では通用しなかったみたいですが。でもこの頃にも両親にAV出演の過去をバラす彼氏とかいたみたいですので、忙しくて彼氏ができないような状況ではなかったのでしょう。

そして現在もやんちゃな男と付き合ってばかり

ここ10年(日経新聞社入社以降)に付き合った男性はいずれも前歯を折った経験があるとか。ということは、両親にAV出演をバラした元カレにもそういうやんちゃな過去があったんですね。 35歳となった今も相変わらずの色気ですので、男に困っている様子はありません。彼女は今でも「よく学び、よく遊ぶ」日々のようです。

AV女優「佐藤るり」のオススメ動画5選

まあ、そんなエキセントリックな経歴の女優さんだったんですけど、ここでは文春砲でスッパ抜かれた過去作品がどれくらい恥ずかしいものだったのか、鑑賞してみましょう。 代表的なところを5つピックアップしてみましたが、「ああ、こういうプレイにどっぷり浸かっちゃったからこうなってしまったのか」と、納得してしまう異様な作品群です。

「佐藤るり Gカップ風俗SPECIAL」2005年

「佐藤るり Gカップ風俗SPECIAL」2005年 2005年4月22日リリース。デビュー当初はこういう作風でしたね。普通っぽいルックスと爆乳を武器に、可愛い系のキャラクターをウリにしていました。 まだデビューから間もない頃なのですが、すでに風俗嬢っぽさが出ているあたりが不思議ではあります。おっぱいを見せるときのためらいのなさとか、初めてハダカを見せる相手に対する緊張感のなさとか、適度な身体のたるみ具合とか。 プレイとしてはオーソドックスなデビュー作で、全身の愛撫やフェラチオ、そして合体という内容です。しかし佐藤るりの巨乳は騎乗位では一段と映えますので、そのあたりは抜きどころとしておすすめできます。 57分とボリューム不足な感は否めませんが、若い頃の佐藤るりを収めた貴重な映像というだけでも価値があります。 AV女優さんの中には、デビュー作から簡単におっぱいを見せすぎて、少し頭が足りていないのではないかと心配したくなってしまうタイプの女性もいますが、佐藤るりに関してはまったく逆です。 どこか知的な印象すら受けてしまいます。彼女には自分の身体がただの肉の塊であるかのように思えているのではないでしょうか。おっぱいを男に見せつけることに躊躇も恥じらいもないから頭のネジがどこか外れています。

「電脳調教」2006年

「電脳調教」2006年 2006年1月8日リリース。おそらく、佐藤るりのM女路線への転機となった作品です。SF的な世界観と本格的なSMプレイを軸とした意欲作でした。 筆者が佐藤るりを知ったのは本作でした。この作品では亀甲ボンテージハーネス姿の佐藤るりが仮面をつけた男たちにムチや蝋燭で責められながらM女として調教されていく姿を見ることができます。 むっちりとした身体つきはボンテージハーネスが似合っています。おっぱいが強調されて肉体のエロさも際立つ上、M女として見せる表情もまた色気十分。縛られて蝋燭を垂らされてピンと勃起した乳首だけで5回は抜けました。 SMモノに出演する企画女優にしては若くてキレイな女優だと当時の筆者は驚いたものです。FANZAのレビューでも指摘されている通り、「佐藤の熱蝋への反応はかなり敏感でエロい」です。 M女として過酷な責めに耐える演技では当時の企画女優の中でも屈指の実力を持っていたと思われます。本作でM女優としての才能を見出されてか、佐藤るりはここからより過激なSM作品への出演を増やしていきます。 「電脳調教」シリーズ自体も結構なヒット作となり、特に「1」と「3」が高評価ですが、佐藤るりは3作目にも調教済みの女としてレズプレイに出演しています。

「燃えるゴミ女 凌辱発火点 佐藤るり」2006年

「燃えるゴミ女 凌辱発火点 佐藤るり」2006年 2006年1月26日リリース。タイトルはパワーワードだらけでもはや意味不明です。 ニコニコしながらインタビューに答えていたのは冒頭の4分間だけでした。すぐさまパンティを脱がされ、透明なボウルにおしっこをさせられたかと思えば、ボウルを顔の前に近づけられます。 「やだ、臭い」と笑っていたのもつかの間。男に「座れ」と命じられ、佐藤るりの表情が青ざめる瞬間にはS心に訴える可愛らしさがありました。口内に尿を注がれ、むせ返りながらもすべて飲まされてしまいます。 チャプター2の「ゴミ扱いされたい女」では、男に「今からお前はゴミになるんだ」と通告され、「ゴミになる?」と意味が分からず怪訝な顔をしていると、5人の男が現れて佐藤るりをオモチャにしてしまいます。 背後の男に両手で指を突っ込まれて口を開けられ、開いた口を前の男に犯される光景などは素晴らしく加虐心を煽ります。最後は顔射されてから生ゴミ置き場に投げ捨てられ、生ゴミを投げつけられながらオナニーしてくれます。 チャプター4は「心を縛られたい女」です。男優は緊縛師の乱田舞氏。乱田氏は「自分に厳しい人だ」と佐藤るりに優しく声を掛けながら縛っていましたが、プレイが始まると佐藤るりを宙吊りにし、蝋燭で責め、鞭で痛めつけます。 厳しい責めを次々に浴びせていきます。このシーンはそれだけでは終わりません。縄を解かれたかと思うと、抱き起すのは乱田氏とは別の鬼畜男優。首を絞めながら犯されるという鬼畜過ぎるプレイには、さすがの佐藤るりも顔を真っ赤にしながら苦しんでいました。 プレイ後、「どうだった?」と聞かれ、「なにがですか?」と虚ろな目で答える佐藤るり。「いじめられてましたから、覚えてません」とのこと。この時代はこういう過激なSMモノが当たり前のように流通していたものです。 最近は事務所側も女優さんの気持ちとか人権とかを大事にするようになりましたが、当時はそういうことはなかったようですし。

「蛇縛の極道挽歌2 佐藤るり」2006年

「蛇縛の極道挽歌2 佐藤るり」2006年 2006年9月7日リリース。当時はSMモノといえば緊縛師・乱田舞でした。 決してプレイの幅が広いというわけではありませんでしたが、女優をM女に仕立てあげるのが上手く、ほとんどの作品で緊縛、吊り、鞭、ロウソクを使用する本格派の緊縛師として活躍していました。 この年の佐藤るりは過激なSM作品への出演が多く、それも過酷な作品ばかりでした。 本作はヤクザの組員を連れ出そうとした佐藤るりが乱田に捕まって正体と目的を明かすよう拷問を受けるというストーリー仕立ての作品でした。脚本も本格的なら、プレイも本格的です。 佐藤るりは、終始、全身に緊縛を施された状態で、多数の組員に辱められ、周囲を炎に取り囲まれての火責めで苦しめられ、全身に蝋燭を垂らされながら電マとバイブで何度もイかされ、最後は一本鞭で身体に痕が残るほど打たれて正体を白状してしまいます。 筆者的にSM作品としての魅力は少なくとも3点。 ①「火あぶり」というマニアックな上に女優にはとてもつらいプレイがあること。 ②乳首などの敏感な部分も含めて全身を熱そうな蝋燭で責められながらの電マ・バイブ責めで絶叫していること。 ③ラストは片足を吊られて受け身も取れない状態で内出血するほどの一本鞭を何十発も打たれていること。 特に③は見どころです。乱田氏の一本鞭には耐えられずギブアップしてしまう女優さんもいるほどですから、佐藤るりはよく耐えました。佐藤るりのM女としての表情と緊縛された肉体が美しいです。

「ひぐらしがなく頃に」2007年

「ひぐらしがなく頃に」2007年 やっぱりこの画像ですよね(2回目) 2007年7月27日リリース。社会現象とまで言われた元ネタが人気絶頂期だったこともあり、当時、「ぶおん」の名はネット上でまたたく間にバズりました。 人気PCゲーム「ひぐらしのなく頃に」のパロディ作品でしたが、ストーリーは原作を完全に再現し、小道具にもロケーションにも製作者のこだわりが見て取れる完成度を誇っています。 ヒロイン4人はいずれも原作では10代半ば以下のローティーンでしたので、ミニマム系の女優さんが集められた形となりました。その中で異彩を放っていたのが佐藤るり演じる園山魅音(そのやまぶおん)。何度見てもひどい名前です。 ヒロインの桃瀬れな(名前が「レナ」なのがポイント)が可愛らしくセーラー服を着こなしているのに対し、佐藤るりは年齢的にもそろそろセーラー服を着せられている感が出始めており、しかもこの頃の佐藤るりは卒論とかで忙しかったのかちょっとぽっちゃりめ。 ミニマム系の女優さんたちに脇を固められる中で「戦隊ものにひとりだけいるデブ」みたいな存在感を発揮してしまったわけです。 かつてはミニマム系だった佐藤るりも、この頃にはもう20代半ばでしたから。高校生役ということで、あんまりバリバリのメイクもできなかったですしね。 とはいえ、からみはさすがのエロさです。他の女優さんたちが童顔貧乳系ばかりですから佐藤るりの巨乳と濃厚プレイは光っていました。 たとえばケーキバイキングの中のカレーライス。抜けるか抜けないかで言うと、筆者はギリギリ抜けるレベルでしたね。原作に思い入れがなかったらちょっと厳しいかもしれませんが。 ともあれ、本作は元ネタの知名度をバネにニコニコ動画などで「ネタ動画」として拡散し、AV業界にとどまらない大ヒットを収めます。佐藤るりの知名度もグーンと上昇し、文春砲の威力も倍増。本作に出演したことが佐藤るりにとっては命取りとなりました。

まとめ

「女は自分の人生を結婚相手に依存せざるを得ない」などというのは古い価値観だと誰もが頭では思っていますが、なかなかそこから抜け出せる人間はいません。 晩婚化が進んで一層レールにはまらない生き方を選ぶ女性も増えてきましたが、佐藤るりは道なき道を行く大変さを誰よりも痛感してきたことでしょう。 AV女優となり、SMにハマり、そんな過去が親にバレ、職場にバレて退職し、今はペンと巨乳インテリタレントとして身を立てる人生。 彼女の両親はこういう生き方を良しとはしてくれなかったようですが、「親を泣かせてはいけません」というのももっともですし、「自分が思うように生きれば良い」というのも正論です。佐藤るりには、そのどちらをも受け入れるふところの広さがあります。 AV女優だった過去に苦しみ、今も苦しんでいるからこそ、そこから目を背けないという生き方。緊縛師の乱田舞氏が共演作で評していたように、「自分に厳しい人」なのでしょう。極めてハイレベルな人生レベルでのドMです。 以上、風俗部がお届けしました。 ◯ 佐藤るりに似ているAV女優の関連記事 ・無料で見れるAV女優「紗倉まな」の無修正動画ベスト20新人AV女優「三船かれん」がついにデビュー!勉強ばかりのGカップ大学院生