江戸時代は、遊女(風俗嬢)との結婚も普通だった

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山東京伝は二度の結婚をしたが、前妻も後妻も吉原の遊女だった。京伝は当時の人気作家であり、有名人である。 しかも、妻が吉原の遊女だったことをいささかも隠さなかった。そのため、世間の誰もが京伝の妻は元遊女なのを知っていた。現代では考えられないことであろう。 現在、もし社会的な身分のある男、あるいは有名人が風俗嬢と結婚する場合、妻の前歴は固く秘密にし、一般企業で働いていた、あるいは家事手伝いをしていたことにするはずである。元風俗嬢という事実はけっして公表しない。 ところが、江戸時代の人々の考え方はことなっていた。遊女、とくに吉原の遊女を妻に迎えることは、庶民の場合、恥ずべきことどころか、むしろ自慢ですらあったのだ。 さて、安永八年(1779)、十九歳の京伝は吉原の扇屋で菊園を知り、以後、かよいつめる。菊園の年季が明けたあと、寛政二年(1790)、京伝は菊園を正式に妻に迎えた。菊園は賢夫人として知られたが、十年ものあいだ遊女勤めをしていたため、すでに体は病魔にむしばまれていた。寛政五年、菊園は三十歳で死んだ。 寛政九年、三十七歳の京伝は、吉原の弥八玉屋の玉の井を知り、かよいつめる。弟の山東京山の手になる『山東京伝一代記』によると、京伝は玉の井のもとに居続けし、一カ月のうち家にいるのはわずか四、五日にすぎなかったという。 いっぽうで、京伝はけっして無駄遣いをせず、弥八玉屋に居続けしても一日に使う金額は金一分と決めていて、けっしてそれを越えなかった。一面では自堕落、一面では堅実そのものといおうか。 俗に「江戸っ子は宵越しの金を持たない」などというが、あくまで落語の誇張である。京伝は正真正銘の江戸っ子だったが、金銭に関してはむしろケチだったという。ケチでありながらも、遊里で遊ぶのはやめなかった。 いっぽうの玉の井も堅実な女で、無駄遣いをせず、上草履の鼻緒も自分でたてていたほどだという。 寛政十二年、京伝はまだ年季途中の玉の井を身請けし、後妻に迎えた。玉の井の堅実さを見て、妻にふさわしいと判断したのであろう。玉の井は聡明な女で、京伝をささえて家庭は円満だったという。 なお、玉の井と結婚したあと、京伝は二度と吉原に足を踏み入れなかった。 (出典元:エキサイトニュース)
江戸時代は性におおらかだったといわれている。それも、現代の感覚からいうと、度外れておおらかだったようだ。当時は、離婚も少しも恥ずかしいことではなかった。 離婚することを「三下り半をつきつける」などと言うが、あれは離婚にとって必要な手続きだった。 「三下り半」は、亭主が女房の悪いところを書いたものだ。つまり、亭主から見た離婚の理由である。それを三行半で書くところから三下り半というのだが、ここに書かれていること以外に、女房に欠点がないという証だった。だから、三下り半は女房のために、亭主が書いてくれたものなのだ。 では何のために三下り半を書いたのかというと、女が再婚するときに必要とされていたからだ。当時は三下り半がないと、女は再婚できなかったのである。 逆にいうと、女は三下り半さえあればいつでも再婚できた。もっといえば、当時は離婚さえも簡単だった。「バツイチ」だの「出戻り」だのと陰口をたたかれる現代とはまるで違うのだ。 出戻りなどと言われ、離婚した女が肩身の狭い思いをするようになったのは明治になってからのことなのである。 江戸時代の銭湯は男女混浴だったことはよく知られている。今では考えられないことだが、当時はそれが当たり前だった。つまり、現代とは性に関する感覚がまるで違うということだ。 たとえば、昔は「夜這い」という風習が日本各地にあった。夜中に年頃の娘が寝ている部屋に忍び込んでセックスするのが夜這いだが、当時は娘の親がそれを黙認していた。だから娘だけ家族と離れた部屋に1人で寝かせて鍵もかけなかった。現代ではこんなことが許されるわけがないが、当時はそれが普通だった。江戸時代は現代よりもずっとフリーセックスだったのだ。マスコミがたまに「若者の性の乱れ」といった番組をやるが、甘い甘い。江戸時代の性の乱れはそんなものではなかった。 そのことは、女性の服装である着物にもはっきり表れている。 当時の女性はノーパンである。ノーパンだから、着物を着て正座すると太ももの脇から手を入れて簡単に性器に触ることができた。 また、着物を着た女性の胸は「身八ツ口」という脇にあるスリットから手を入れて、簡単に乳房を揉むことができたのだ。 つまり、当時女性が着ていた着物は、女性を守るようにはできていなかったのである。 性に対してこれほどおおらかだったから、遊女を妻に迎えても偏見を持たれることはなかった。 しかし、現在は江戸時代ほど性におおらかではないから、風俗嬢と結婚するならひた隠しにせざるを得ないのだ。 性に対する意識がまるで違うのだから、その部分の説明をしないで単に遊女(風俗嬢)との結婚だけを比較しても、あまり意味がないのである。