AV女優「後藤えり子」のデビュー前から現在までを丸裸に【完全保存版】

124 views

オススメAV PR

寝る間も惜しむくらいハマる!エロゲRPG15選|やり込み要素が多いのを厳選
1990年代に起きたバブル。そのバブル期を体現したようなAV女優が後藤えり子です。ルックスも生活も派手だった彼女は、AV女優としても高い人気があり、あの飯島愛を発掘したとも言われていて実業家としても活躍した女性です。今回はそんな後藤えり子を文字通り丸裸にしちゃいますよ!

AV女優「後藤えり子」のプロフィール

生年月日 1968年8月24日
出身 北海道
スリーサイズ B:86cm(カップ数不明),W59cm,H84cm (1988年時点)
女優タイプ スレンダー美少女
総出演本数 57本
受賞歴 なし
現在 現役か、引退したなら今何やっているか説明
AV女優としての活躍だけではなく、実業家としての一面も持っている後藤えり子。デビューは1988年ですが、実はデビュー作だけは西崎彩でリリースしています。時代を象徴するバブリーな見た目で、ルックスは抜群。そしてスレンダーなボディで多くの男を魅了したバブル期を代表するAV女優の一人です。今で言う所のパリピっぽい雰囲気で、実際にもディスコに繰り出し男をハンティングしていたという天性のビッチでもあります。 デビューから数年間しかAV女優としては活躍していないのですが、人気深夜番組に出演するなど知名度は抜群、AV作品も写真集もリリースすれば爆発的に売れた当時の超人気AV女優です。それほど長くないAVキャリアの中で様々な作品に出演し、ビッチっぷりを披露。何度イっても尽きることない性欲をカメラの前で見せつけ、開発された体は男のセックスシンボルの一人でした。 圧倒的な美しさで男を魅了していたのですが、一度男優と絡むと超肉食系のメスに変貌。通常はソフトになりがちなデビュー作でいきなり中出しを披露しています。まだまだ中出しが少なかった時代だったので、かなりの衝撃を与えました。その他にも、コスプレ、乱交、痴女などどんなプレイでもど変態な姿を見せ、当時すでにAVにお世話になっていた男性で後藤えり子にお世話になっていない男性はいないのではないでしょうか。 実は学生時代にはスチュワーデスを目指し、英語も真剣に勉強していたという才女でもある後藤えり子。1990年には一時引退し、マネージメントなどAV業界の裏方を学んだのちに、アメリカ留学。自分のしたいことに突き進む姿勢は、素晴らしいですよね。その後帰国して 自身もAV女優に復帰しながらも、AV女優として蓄えたお金でプロダクションを立ち上げています。 かなり計画的に人生を歩んでいることがわかりますよね。立ち上げたプロダクションではなんとあの飯島愛を発掘しています。現在は残念ながら亡くなってしまいましたが、飯島愛といえばAV女優として人気を博したあと、お茶の間でも愛されるタレントとなったAV女優界のスターですよね。そんな彼女を発掘するなんて後藤えり子の見る目は凄すぎます。飯島愛にとって後藤えり子は恩人のようで、彼女の自叙伝「プラトニック・セックス」には後藤えり子をモデルとした人物も出てくるほどです。 社長として仕事をしながらもAV女優としても活躍、AV女優を辞めた後もストリッパーとしても活躍、そして再びの渡米など自分のやりたいことにはなんでも挑戦し続けた後藤えり子。しかし、その裏で大麻にハマってしまい、ストリップ公演出演直後に逮捕されるという事態にも見舞われています。伝説のAV女優として熱狂的なファンが数多くいた後藤えり子ですが、なんとこの逮捕のニュースでオナったというファンもいるほどでした。 逮捕前後からテレクラ、日サロ、アパレルやネイルサロンにも進出し、一時はビジネスでもかなりの成功を納めていた後藤えり子ですが、最終的には経営不振による全てを失っています。しかし、そこで終わらないのが後藤えり子。なんと現在はアメリカ人男性と結婚して、ハワイに住んでいるそうなんです。海外志向が強かった後藤えり子にとってはこの上ない生活ではないでしょうか。 話題には事欠かない波瀾万丈な人生を歩んできた後藤えり子ですが、現在も日本には帰国していないので、ハワイで平穏に暮らしているのでしょうね。日本ではAV女優として顔が割れてしまっていますし、海外で生活するというのはAV女優としては最高の選択肢ではないでしょうか。

AV女優「後藤えり子」の重要トピック5選|デビューから現在まで

やりたい放題の人生を送ってきた後藤えり子。彼女にまつわる面白いエピソードは無数にあります。彼女のデビュー以降のエピソードを時系列に紹介していきます。

1988年「AV女優デビュー」

1988年AV界に彗星の如く現れた後藤えり子。デビュー作品はアイビックから発売されたオムニバス作品「バナナ白書・私の下半身」でした。この作品のみ西崎彩名義で出演しています。その後、単体作品「熱き夜のカンタータ」をロイヤルハートからリリースしました。 この頃熱狂的な女子大生ブームだったこともあり、現役女子大生の肩書きを引っさげてのデビューとなっています。当時のプロフィールでも聖心女子大学中退となっています。ただ実はこれはAVデビューのための偽のプロフィールで、本当は北海道にある専門学校に通っていたんです。同じ学生ではありますが、当時は現役女子大生というのは最大のブランドだったので、偽のプロフィールを使ったんでしょうね。特に聖心女子大学とは超お嬢様校なので、本物のお嬢様がAV女優になったというのは注目を集めるのには最高の触れ込みでした。 実際は撮影以外では札幌で過ごし、専門学生として勉強していたという後藤えり子。彼女はのちの人生で語学留学をしているのですが、当時はスチュワーデスになることを目指していました。英検2級を取得するなど勉強も頑張っていたようですが、当時から札幌ではヤリマンとして知られていたようです。当時後藤えり子とヤったという男性はネット掲示板にもかなり出てきており、本物のヤリマンだったことが証明されています。 さてそんなリアルヤリマンとして名が通っていた後藤えり子。当時一大ブームだったディスコに通い、踊りで鍛えたボディはかなりスレンダーで引き締まっていました。この頃はおっぱいはDカップくらいあったと言われています。圧倒的な可愛さで、すぐにAV界の新たなスターとなり、どんどんヒット作を輩出していきました。 彼女のプレイスタイルはとても肉食的。プライベートでヤリマンという彼女は、デビュー作からめちゃくちゃ大胆でかなりヌケると話題になりました。だいたいどんなAV女優でもデビュー作は、ソフト過ぎて残念な仕上がりになってしまうものなのですが、後藤えり子の場合は、デビュー作から中出しを見せつけるなど、全く出し惜しみすることなく激しいプレイを披露しました。 もともとセックスが大好きな女の子でしょうから、いろんなシチュエーションでセックスできることが楽しかったんでしょうね。まさにAV女優になるべくしてなった女性だと言えるでしょう。激しいプレイでガンガン突かれ、アヘ顔を連発しながらイっても、途中で笑顔を見せるなどプレイ自体を楽しんでいた姿が印象的です。 後藤えり子と同じ1988年にデビューしたAV女優といえば、豊丸、松本まりな、葉山レイコ、沖田ゆかりなどがいます。時代を代表するAV女優も多いですね。当時の女性って今の女性よりも大人っぽい印象が強いです。またこの年は、田原俊彦とセックスしたこと暴露した女性が原久美子としてデビューしています。1990年に起きるAVバブルに向けて粒ぞろいのAV女優がデビューした年です。

1990年「一時引退し渡米、帰国後プロダクションを設立」

AV女優として多くの作品で激しいプレイを披露しながらも、タレントとして当時大人気だった多くの深夜番組にも登場。日本テレビの伝説的深夜番組「11PM」のカバーガールに抜擢されたことからも、後藤えり子がどれだけ人気があったか伺い知れますね。その他にもテレビ朝日の「姫TV」や「朝まで生テレビ」、日本テレビの「EXテレビ」などでレギュラーを獲得するなど圧倒的な人気がありました。 しかし人気絶頂だった1990年4月AVおよび芸能活動を引退して、タレントのマネージメントやAV製作の裏側を学ぶようになります。華やかな表舞台から身を引いて裏方の勉強を始めたのは、その先の人生設計があるからなのですが、見た目とは裏腹にかなりしっかりしていますよね。裏方として経験を積んだあと、渡米し語学を学んだのち帰国。1991年にAV女優として復帰しています。 その一方で自宅を事務所としてプロダクション「オフィス Erie」を設立。実業家としての人生もスタートさせます。しかもこのプロダクションの設立資金は、全てAV女優として自分が稼いだお金だったそうです。あれだけパリピのヤリマンとして遊んでいたにも関わらず、人生設計は完璧ですよね。 後藤えり子がプロダクションを設立したのは、「ポスト後藤えり子を発掘し世に出したい」という願望があったからなのですが、この時発掘されたのがあの飯島愛です。後藤えり子は「業界ナンバーワンの女性を育てる」と宣言していたのですが、その通りAV界に名を残すスーパーレジェンドを生み出すことになりました。まだまだ年齢的にも若かったのですが、かなり見る目がありますよね。 飯島愛をスカウトし、AVの世界に連れてきた後藤えり子。飯島愛にとって後藤えり子は恩人であり、飯島愛はかなり慕っていたようです。ベストセラーとなった飯島愛の自叙伝「プラトニック・セックス」では後藤えり子をモデルとした吉村理沙という女性も登場しています。スカウトされ、1000万円を渡されてAV女優になったという流れなのですが、これも現実に基づいているそうですよ。 後藤えり子はこののち、大麻所持で逮捕されてしまうのですが、薬物使用の噂が絶えなかった飯島愛に薬物を教えたのも後藤えり子だと言われています。飯島愛は不幸な死を遂げてしまいましたが、彼女にとって後藤えり子は人生になくてはならない存在だったと言います。 飯島愛をはじめ、多くの女性をスカウトし育てながらも社長兼AV女優としてAVにも出演し続けました。1992年には飯島愛との共演作「Tバック姉妹 後藤えり子VS飯島愛」もリリースするなど、話題には事欠かない存在として注目されます。1993年までは忙しい合間を縫ってかなり多くの作品にも出演していますし、かなりバイタリティのある女性なことがわかりますよね。

1993年「AV女優を引退、ストリッパーに転向」

そんな後藤えり子ですが1993年に2度目のAV女優引退を迎えます。引退後は社長業を継続しながら、ストリッパーに転身。ストリップデビューは浅草ロック座で行われた「後藤えり子ショー」で、20日間連続公演を行なっています。その後も日本全国のストリップ劇場を飛び回りながら、人気ストリッパーとして活躍していました。 この頃、後藤えり子は豊胸手術をしたのではないかと言われています。AV女優時代はDカップくらいのおっぱいだと言われていたのですが、突然胸が大きくなったんです。ストリッパーとして人前で裸を披露する以上、おっぱいを大きくした方がいいという考えだったのかもしれませんね。年齢的にもおっぱいは徐々に垂れ始めてきますが、豊胸すればハリを保つことができるのも一つの理由かもしれません。 浅草ロック座・川崎ロック座・新宿ロック座など当時大人気だったストリップ劇場のほとんどで冠公演を行うなど、人気は不動のものになりました。社長として忙しい日々を送りながらも、ストリップの練習も黙々と続けていたようで、彼女の努力家な一面が垣間見えるエピソードですよね。 連日満員御礼で人気が陰ることはなく、どの公演も大盛況で入れないお客さんで溢れていたと言います。またパフォーマンスの最後には、実際に履いていたパンツを投げるというサービスもあり、このパンツを多くの男が奪い合っていたそうです。後藤えり子の生パンツがもらえるなんて、ちょっとしたパニックになりそうですよね。 ちなみにこの頃は全国を飛び回りながら、三軒茶屋に日焼けサロンをオープンさせています。また、事務所所属の人気AV女優などとテレビ電話を楽しめるという当時では珍しいスタイルのテレクラもスタート。これらのビジネスも当たるのですが、その権利を譲渡して1993年の終わりに再び渡米しています。結果的に2年間アメリカで過ごすことになりました。

1995年「実業家として活躍しながらも、逮捕される」

2年間でのアメリカでの生活を終え日本に帰国すると、今度はアメリカで勉強したネイルアートを生かし、ネイルサロンをオープンさせます。また同時にアパレル事業もスタート。これら全てを自分自身で稼いだお金で成り立たせているなんて、本当にすごいですよね。これらのビジネスはしばらくして経営不振で破綻してしまうのですが、 再びストリッパーとして全国を飛び回るようになります。 そんな中、1997年川崎ロック座の公演直後に大麻取締法で、逮捕されてしまいました。どうやらかなり前から見張られていたそうで、川崎ロック座での最終公演を待って楽屋に警察官が踏み込んでの逮捕劇となっています。彼女の自供によると、アメリカで生活していた時に大麻にハマってしまったということです。内定調査を長い間されていたとなると、かなり長い期間所持が疑われてたということですよね。 この時、後藤えり子の本名が渡辺庸子ということも発覚。30歳での逮捕となりました。全国にかなりのファンがいた後藤えり子ですから、多くの男性が衝撃を受けたニュースです。

2002年「表舞台から姿を消す」

逮捕後はストリッパーとしての仕事が激減してしまった後藤えり子。1999年には「女帝 後藤えり子」でAV女優としても復帰しています。久しぶりAV界に復帰したことで、ファンは大興奮。30代に突入し、熟れた魅力もアップした後藤えり子の復帰作は大ヒットしています。 その後も数こそ多くないものの、単体作品をリリースし続けたのですが、2002年にAVを引退し、完全に表舞台から姿を消しました。タレコミによる情報によると、引退後はアメリカ人男性と結婚し、ハワイに住んでいるそうです。後藤えり子ほど人気があった伝説のAV女優が日本で生活していくとなると大変ですから、アメリカ人と結婚したのは賢い選択ですよね。 なんでもハワイでサーフィンを習っていた時に出会った、サーフィンのインストラクターが結婚相手なのだとか。黒人とのセックスをAVで披露したこともありましたが、アメリカ人の大きなチンコを手に入れたんですね。ハワイではいくつか目撃情報があり、ネット掲示板を騒がせたこともありましたが、やはり日本に住んでいない分目撃情報も比較的少なく、ひっそりと暮らしているのではないかと思われます。 AV女優として一時代を築き、留学など自分のしたいこともしながら、実業家として頭角を表した後藤えり子。飯島愛という業界ナンバーワンの逸材を発掘し、ストリッパーとしても活躍、その後逮捕されるなど波乱万丈な人生を送っていますよね。それでも最後に幸せな結婚を手に入れるなんて、かなり強運の持ち主と言えそうです。

AV女優「後藤えり子」プライベート生活を丸裸に!SNS画像・動画を紹介

後藤えり子が活躍していた1980年代後半から1990年代はSNSなどが存在しておらず、当時の画像などもほとんど残っていません。プライベートも派手で、ディスコに毎晩のように繰り出していた後藤えり子ですから、当時今のようにSNSがあったとしたら、かなりド派手なアカウントになっていたことは間違い無いでしょうね。 そんな彼女ですが飯島愛を発掘したこともあり、彼女とはかなり仲が良かったようです。自分を見出してくれた存在として、飯島愛は後藤えり子をかなり慕っていたようですから、一緒に過ごす時間もかなり多かったよう。「プラトニック・セックス」で出てくる吉村理沙のエピソードも、ほとんどがそのまま後藤えり子のエピソードだそうです。プロダクションの社長として多くのAV女優を抱えていたことから、他のAV女優との交流も活発だったようですね。 そんな後藤えり子の特技はダンス。ディスコで鍛えたダンスで、多くの男を魅了していたのでしょう。あの引き締まったボディもダンスの賜物ですよね。またもともとスチュワーデスを目指していた後藤えり子は、英語もずっと勉強していました。2度も渡米していますし、語学もそのたびにブラッシュアップしていっていたのでしょう。

AV女優「後藤えり子」のセックス事情やプライベートの噂は?

後藤えり子自身がインタビューなどで過去のセックスや恋愛について語ったインタビューは残念ながら見つけることはできませんでした。でも、後藤えり子に関するタレコミはネットの掲示板にたくさんあふれています。やはりビッチとして、遊びまわっていただけのことはありますよね。

ヤリマン伝説

北海道で専門学生をしながらAV女優としてデビューした後藤えり子。学生時代はかなりヤリまくっていたようで、毎日男が学校に迎えに来ていたそうです。その男も一人というわけではなく、毎回違う男が来るのでかなり話題になっていたそう。 ネット掲示板には、北海道時代に後藤えり子とヤリまくっていたという男も登場しています。その男性によると、自分が後藤えり子と関係を持っていた間にも、彼女は複数の男と同時に関係を持っていたそうです。さすがビッチ伝説を持っているだけありますね。 連日のようにディスコに現れていた後藤えり子は、その度に男をハンティングしてお持ち帰りしていたそう。ダンスが特技といいますが、男を捕まえるための特技とも言えそうですね。AV女優になる前から、かなりの経験人数になっていそうです。 デビュー作から中出しOKなど、かなり激しいセックスを披露していた後藤えり子。プライベートでもかなり大胆なプレイを楽しんでいたんでしょうね。AVでどんな激しいプレイをしてもリアリティがあったのは、それが後藤えり子本来の姿だったからなのでしょう。 掲示板には後藤えり子を含めた男女入り乱れての乱交をしたことがあるという人、またキメセクをしたことがあるという人まで登場しています。どこまでが本当のことかはわかりませんが、彼女ほど有名な女性になるといろんな噂が付きまとうのでしょうね。全てが本当では無いでしょうが、半分くらいは真実なのではないでしょうか。

セックスも英語で!?

現在はアメリカ人男性と結婚し、ハワイで生活している後藤えり子。もちろん今は英語で生活しているでしょうし、旦那さんとのセックスも英語でしているんでしょうね。洋モノのAVを見るとわかりましたが、外国人のセックスって男も女も喘ぎまくっている印象があります。AV作品でもかなり喘ぎ声が激しかった後藤えり子ですから、旦那とのセックスもすごいんでしょうね。 1993年から2年間渡米していた後藤えり子。その後逮捕された時に、アメリカで覚えた大麻の快感が忘れられなかったと話しているのですが、おそらくアメリカではキメセクをヤリまくっていたのではないでしょうか。日本でAV女優になってからも素人の男性とヤリまくっていた後藤えり子ですから、アメリカでも性欲が我慢できていたとは思えません。 おそらくアメリカ人と激しく乱れまくっていたんでしょうね。大麻をやりながらのセックスであれば、かなりクレイジーなものだったのではないかと思います。英語で激しく叫びながらセックスしていたのかと想像すると、めちゃくちゃ興奮しますよね。

AV女優「後藤えり子」のオススメ動画5選

一時代を築いた伝説のAV女優・後藤えり子。彼女のAV作品は痴女っぷりが激しくど変態な作品ばかりです。今回は現在配信で見ることができる作品の中からオススメの5作品を一挙紹介します。

「ファイナル えり子の性欲行為 後藤えり子」1990年

後藤えり子が最初にAVデビューして、引退する前の最後の作品です。この後一度引退して裏方の世界を学んだ後藤えり子は、実業家としての道を突き進むことになります。この作品を出した頃は深夜番組でも爆発的な人気を誇っていました。このAVを見るとそれにも納得ですよね。 「最後だから本気でイキたい」と本人が語っているように、この作品では激しくイキまくります。肌も白く、黒くなった頃に比べるとかなり清純にも見えるんですが、乱れっぷりは最高です。濃厚なキスで舌を絡め合うと、マンコをグチョグチョに濡らし、チンコの受け入れ態勢は抜群です。正常位・バック・騎乗位と体位を何度も変えながらイキまくります。 恍惚な表情を浮かべながら背中を仰け反らせ、痙攣する姿は最高にヌケちゃいますよ。もう理性が吹っ飛んでしまったような表情で、何度イってもイキ足りないかのような姿がたまりません。もともと感度が最高な後藤えり子ですが、デビュー時に比べるとより感度が増しているような感じすらします。 下着姿でサングラスだけかけているという一風変わったシチュエーションもあるのですが、視覚が邪魔されたことでさらに感度がアップ。マンコが大洪水になりながらも激しくイキ果てます。性欲が尽きることがない後藤えり子ってすごいですよね。こんな感じでプライベートでもセックスしていたんだろと想像すると興奮がおさまりません。 ファイナル えり子の性欲行為 後藤えり子

「連続絶頂 グンニャリしたら許さない! 後藤えり子」1991年

一度引退し渡米、その後帰国して復帰した際の作品です。パッケージ写真がめちゃくちゃバブリーですよね。黒く日焼けした肌がビッチ感があり最高です。デビュー当時から圧倒的な美しさがあった後藤えり子ですが、この頃の後藤えり子が一番いいという人も少なくありません。 アメリカで焼いてきたのか、この頃が一番黒いですね。男にホテルに連れ込まれ、そのままなだれ込むようにセックス。乱暴に服を脱がすと美しいおっぱいが登場します。興奮した男はおっぱいにむしゃぶりつき、そのままクンニと手マンで激しく迫ります。マンコに指を入れるとすでに大洪水状態です。ビチョビチョのマンコにチンコを突っ込まれると、即イキ。感度が良すぎて最高です。 もともとど変態な後藤えり子ですが、黒くなった肌がかなりビッチな雰囲気を醸し出していて、いつもよりも何倍もいやらしいです。後半は3Pシーンもあり、上の穴も下の穴も塞がれて嬉しそうにセックスします。マンコを激しくピストンで責められているのに、見事なフェラテクニックを見せつけるのもさすがですね。そしてどれだけ自分がイキまくっても男を求めまくり、休む暇を与えません。 極め付けはチンコのピストンからの潮吹き。激しく突かれてチンコを抜いた瞬間に、めちゃくちゃ激しくスプラッシュしちゃいます。いつも手マンで潮吹きしまくっていますが、チンコでの潮吹きって最高ですよね。そのほかにも69で腰をくねらせながら、チンコを貪っている姿など見所だらけ。昔のAVとは思えないほどヌケますよ! 連続絶頂 グンニャリしたら許さない! 後藤えり子

「100万回の絶叫 淫獣伝説 後藤えり子」1991年

こちらも1度目の引退から復帰した後の作品です。相変わらず色黒の肌はいやらしく、もちろん感度も最高。男から情熱的なキスをされると、すでにマンコはびしょ濡れです。乳首を舐められると、シミができてしまうほどで、超高速手マンでマンコを刺激されるとスプラッシュの連続です。100万回の絶叫と言うタイトルがぴったりな激しい絶叫を繰り返し、ホースで水を撒いているかのように潮吹きし続けます。 ボディは最高にスレンダーで、ただそこにいるだけでエロスのオーラが溢れ出しています。鷲掴みしたくなる形のいいお尻、引き締まったくびれたウエスト、もう全てがいやらしくてたまりません。こんな女が隣にいたら、どんな男もチンコがフル勃起間違いなしですよね。 挿入されるとさらに激しく喘ぎ、「もっともっと」とおねだりしながら何度もイキます。こんな美女が自分のチンコでここまで感じ、さらに快感を求めてくるなんてもう天国です。全編通して責められっぱなしですが、それ自体を楽しんでいるようなど変態っぷりです。もちろん最後は男の精子をヒクついたマンコで受け止めます。 どくどくマンコに流れ込む精子を感じている時の表情が最高にエロいですね。チンコを抜き取ると、どろっと白い精子が流れ出します。モザイクは大きいですが、バッチリ見えますよ!このAVでヌケない男はもう男じゃありません。 100万回の絶叫 淫獣伝説 後藤えり子

「人間発電所 ’93 後藤えり子」1993年

とにかくヤリまくり、そしてイキまくりの47分です。たった47分でここまで魅せられるのかと関心してしまうほどにヌケます。ただのどエロい女というよりも、これはもう極上の女ですね。こんなに美しい女がここまでセックステクニックがあるなんて、男からしたら超理想的ですよね。 口コミでは「おっぱいよりも背中がエロい」と言わせしめたほどの全身から溢れるエロいオーラ。確かにバックから突いて背中を反らした時のフォルムがいやらしすぎます。ソファーでのオナニーシーンでは、自分で慰め始めるとすぐイってしまう感度の良さ。さすが自分の性感帯は熟知しているんでしょうね。 その後も首輪で繋がれてからの陵辱プレイ。モザイクが大きいのが残念ですが、刺激を与えられるとすぐに大きな声で喘ぎ始め、アヘ顔で美しい顔を歪めます。乳首スケスケの黒い服もそそりますよね。ほかにもオナニーしながら男を誘惑してからの激しいセックスや、白いガーターベルトを付けた状態での濃厚なセックスなどとにかくヌケるシーンばかり。 後藤えり子って自分がどういう覚悟で一番綺麗に見えるか、しっかりわかっている気がします。どんな体位をとってもエロくて最高です。特にお尻を突き出した時のボディラインは最高ですね。絶頂を繰り返し、痙攣しまくる後藤えり子を見逃さないでくださいね! 人間発電所 ’93 後藤えり子

「ドリームウーマン DREAM WOMAN VOL.3 後藤えり子」2002年

このドリームウーマンは、実は現在も続いている超人気シリーズ。15年以上続いているってすごいですよね。2度目の引退から復帰後の作品で30代に突入し、それまでにはなかった熟女の魅力にも溢れています。 この作品がすごいのはエンドレスに続くぶっかけです。なんと合計73発もぶっかけられ、顔も体も真っ白に。生臭そうな精子を顔で受けとめ、美味しそうに舐める姿は最高のど変態っぷりですね。年齢は重ねていますが、ど変態っぷりは衰えることもなく、むしろ加速しているように感じますよね。 テクニックも磨きがかかっているようで、チンコを美味しそうに貪ります。初めはソフトに刺激を与えたかと思えば、緩急をつけて激しく手コキで扱きながら竿を刺激。そしてそのままディープスロートで奥までチンコを咥え込み、ジュポジュポ音と泡を立てながら男をフィニッシュまで責めあげます。 とにかくあらゆるシチュエーションでぶっかけられ、その度に嬉しそうに受け止める姿はど変態の真骨頂です。もちろんぶっかけだけではなく、挿入シーンもありで、自分が気持ちよくなることも忘れてはいません。男をイキ果てさせても、自分の性欲が尽きることのない後藤えり子には脱帽です。ザーメンまみれの後藤えり子でヌキまくってください。 ドリームウーマン DREAM WOMAN VOL.3 後藤えり子

まとめ

AV界にはその時代時代に伝説のAV女優がいますが、後藤えり子は1980年代後半から1990年代に最も人気があったAV女優といっても過言ではないでしょう。圧倒的な痴女っぷりでガチイキだけを披露し続けました。特に1991年頃のAVは今見ても最高にヌケます。まだ見たことがない人はぜひチェックしてみてくださいね。 ◯後藤えり子に似ているAV女優の関連記事 ・AV女優「豊丸」のデビュー前から現在までを丸裸に【2020年最新版】AV女優「小林ひとみ」のデビュー前から現在までを丸裸に【2020年最新版】