合法レイプ?夜這いの実態を徹底リサーチ|全国の伝説も紹介
14 views夜這いとは
「夜這い」と聞くと皆さんはどんなことを想像されますか?現代社会に生きる人の殆どは「いけない事」とか「隠微な事」などと想像されるかと思います。しかしそれは単なる現代人の思い込みであって、実際にその時代では一般的な行為とされてきました。では、そもそも「夜這い」とはどんな行為にあたるのでしょうか?「夜這い」に関してご紹介していきますね。 「夜這い」とは、夜中に性行を目的に他人の寝ている場所を訪れ、性行をするという日本の風習だと一般的には勝手に解釈されています。古くは、759年に成立した『万葉集』巻12に「他国に よばひに行きて 大刀が緒も いまだ解かねば さ夜そ明けにける」と歌われており[2] 、大正時代まで[3]農漁村中心に各地で[* 1]行われていた習俗[4]。 引用:Weblio辞書しかし明治維新の近代化や農漁村への電灯の普及などによって明治以降はその風習は衰退する傾向にありましたが、山深い山間部の村落では大正時代あたりまで残っていたそうです。「夜這い」の語源は嫁や結婚などの時を「よばふ」「よばひ」などと読んでいて、これは「呼ぶ」の再活用形で「つまどい」「つままぎ」などの語と同じように、求婚の為に男性が女性の元に通う意味とされていたようです。古代の夫婦関係とは「妻問い婚」であり、男女は別々に暮らし、男性が妻の元に通って行くという形態だったのだそうです。 また、「夜這い」という習慣は、全国各地で行われていたことが現代では多くの研究者たちによって明らかにされています。
「夜這い」が認められていた理由
では、どうしてこの「夜這い」という風習が根付いたのでしょうか。それは古代の日本人の夫婦関係に戻ります。かつて日本では「妻問い婚」という婚姻形式をとっており、男女別々に暮らしておりました。そして男性が女性の元に通うという形をとっていました。結婚するという事でコソコソ会うのではなく、堂々と「夜這い」ができる関係になったのです。その背景には当時は「一夫一婦制」ではありましたが、その概念も希薄だった為に、「重婚」や「夜這い」は当たり前だったからです。そして「夜這い」にはこのような意味も含まれていました。夜這いについては、時代や地域、各社会層により多様な状況であり、共同体(ムラ)ごとの掟に従う必要はあったが、夜這い相手の選択や、または女性側からの拒絶[11]など、性的には自由であり[12]、祭りともなれば堂の中で多人数による「ザコネ」が行われ、隠すでもなく恥じるでもなく、奔放に性行為が行われていた[13]。ただし、その共同体の掟に従わねば、制裁が行われることもあった[14]。赤松によれば戦争その他などで男の数が女に比して少なかったことからも、この風習が重宝された可能性があるという[15]。 引用:Weblio辞書確かに種の保存をする為には、男性が足りないのであれば当たり前の事なのでしょうね。
「夜這い」の意義と正当性
また、もっと遡るとビックリ!「夜這い」って日本独自の風習ではなかったんですね!実は日本と同じような顔立ちの国でもあったんです。中国領チベット地域・ネパール連邦民主共和国・ブータン王国はヒマラヤ山脈の一郭に在り、「夜這いのルーツの国々」である。 「夜這いの国々」などと言うと、現代日本の性規範では好奇な目で見るだろうが、それは単なる文化の違いで、過っての日本にも存在した文化であり、非難されるものでも蔑(さげす)まれるものでも無い。 要はそれが現地の習俗であれば、それを他国が自分達の尺度で量り批判するのは単純過ぎる考え方である。 引用:皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集やはりこの根本には繁殖相手を確保するも目的があったようですね。
勿論「夜這い制度」は自然発生的な制度で、原始的婚姻制度としては繁殖相手を選択する極自然で素朴なものである。(中略)「夜這い制度」を守る村落共同体内での「共生主義」の根本精神は妥協や犠牲ではなく、共同体としての素朴な「積極的協調精神」である。 つまり「共生主義」は、女性側に選択権がある「夜這い」と言う極自然発生的な制度や「一妻多夫婚(妻問い婚・通い婚)」の制度である。 引用:皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集
また、家族単位の「群れ婚状態」も在り、その家の長男が嫁をとり財産を引き継ぐと、男兄弟が何人居ようとその家に同居し長男の嫁をセックスの対象として共有させてもらう一妻多夫婚が普通である。 逆のケースとして、娘だけ何人も居る家庭では長女にだけ婿をもらい、他の娘はその婿をセックスの対象として共有する一夫多妻も存在する。 これは一家一族の財産の散逸を防ぎ、かつ一族共栄の為の知恵であり、一族の血流を閉ざさない為の合理的な保険的手段だった。 引用:皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集
夜這いは合法レイプか
「夜這い」と聞くと、なんか夜な夜な女性の居る部屋に忍び込んでセックスをするというイメージがありますよね。更に、「レイプにあたるんじゃないか」と思っている人も多いのでは。しかし、「夜這い」に関しての資料を紐解いていくと、それらのイメージは全くの誤りであったのだということが解ります。それらの資料に書いてあることをご説明しますね。夜這いにはルールが決められており、決して無軌道に行われるものではなかった。ルールは地区によって少しずつ異なるが、複数の地域で見られる傾向としては、「夜這いをかける相手は未婚女性か、あらかじめ決められた既婚女性」「夜這いは自分が住む村落に限る」「夜這いの結果で妊娠したら、両名は結婚する」などがある。 引用:世界四方山 川蝉のブログと、社会的にルールが定められていたんです。ですから、自分勝手に誰でもかまわず「夜這い」行為におよぶという事ではなかったんですね。そして、また次のようなことも決まっていました。
年齢制限が設けられていることが多いが、たいていは男女共に13歳から15歳くらいが多く、遅くとも18歳までには夜這いが許される。そして、夜這いの当事者は若い男女が中心であった。 さらに、夜這いは男性主導だが、女性にはある程度の拒否権が与えられていたようである。少なくとも、レイプのような状態になったという形跡は、資料には見られない。そもそも、村落共同体のような狭いコミュニティのなかで、レイプなどという暴力行為が容認されていたとは考えにくい。 引用:世界四方山 川蝉のブログここではハッキリと「レイプ」という行為を否定しています。それにしても13歳から許されていたなんてちょっと驚きですね。
「夜這い」は男性だけのものではなかった
一般的に「夜這い」は男性が女性の部屋に赴く風習という考えですが、実は地方によっては女性のほうから男性の家に「夜這い」をかける習慣も報告されているのだとか。地域によっては女性が男性に夜這いをかける慣習も報告されている。例を挙げると、栃木県足利地方、愛知県知多半島、鹿児島県南部などの村落の一部では、女性のほうから男性の自宅に赴くことがあったと資料に報告されている。 引用:世界四方山 川蝉のブログ男性としたらかなり嬉しいお知らせですね!しかし、これらの行為と言うのは、地域社会で「健康な男女間のセックスに対する興味が芽生えた頃の対策」として考え出されたからだと考えられますね。
かつての日本の地域社会では、心身ともに健康な男女が10代半ばともなれば、セックスについての関心や衝動が起きて当然であり、そうした性的発育を社会が肯定し、地域ぐるみで実践的に教育していたとみることもできよう。実際、村落内で決められた年長者が、夜這いの指導役として若者に同行するケースも珍しくなかったという。そこには、「性的な衝動はスポーツで発散しろ」などというゴマカシは存在しない。 引用:世界四方山 川蝉のブログ周囲の大人がこのような考え方をしてくれていたなんて、なんて素晴らしい時代なんでしょう!10代になったらセックスに興味が出てくるのは当然ですからね。でも、現代では地域にとどまらず活動範囲が広範囲になっていますから、このような狭い地域で相手を決めるということはつまらないと思ってしまうでしょうね。
実際に夜這いはあるのか
色々「夜這い」について調べてきましたが、では本当に「夜這い」を行っていた事実はあるのでしょうか?その答えは「YES」なんです。そもそも昔の日本では「通い婚」というのが普通だったそうです。「へー、そうなんだ」と思う方も多いかと思いますが、逆に言えば、現在のような「一夫一婦制度」になったのはここ100年くらいの事だったのです。明治政府は富国強兵策として国民道徳向上を目的に一夫一婦制の確立、純潔思想の普及を強行し、夜這い弾圧の法的基礎を整える一方で、都市や新興工業地帯の性的欲求の為に遊郭、淫売街の創設、繁栄を図った。夜這いその他の性民族は非登録、無償を原則としたので国家財政に一文の寄与もしなかったが、明治政府は国民道徳との背反を知りながら、農村の隅々まで風俗旅館、酌婦宿を普及させて巨額の税収を得た。 引用:Yahoo!知恵袋なるほど。国が税収を得る為に「夜這い」を禁じたんですね。ですから、結婚するまで処女でいるべきだというような古風とされる考え方は、決して「古風」という事ではなかったようです。という事で、「夜這い」は実際にあったんですね。その証拠とされる物にこんな物も。
「夜這い婚」は日本の村落共同体で当たり前に見られた風俗であり、驚くべきことに最も近年まで残っていた地域では昭和30年代まで行われていた記録が残っています。(飛騨高山の伝統的民家には屋根裏部屋に入れる出入り口があるそうですが、これはかつて夜這いのために使われた出入り口だそうです。 引用:共同体社会と人類婚姻史
全国の夜這い伝説
伝説としてはふさわしい、はるか昔のお話で「万葉集」からひとつ。「香具山とカカヨリ姫の物語」ではこんな恋愛物語が残されています。秋津根(奈良県)と日下根(和歌山県)の国にある香具山の平らな麓に、地方長官(覇精高の上)のタナリヒコの命とハタド姫のあいだに生れた娘で、カカヨリ姫という大変美人が住んでいました。 人はみな恋に落ち、夜這いしたいと望んでいました。(原文ママ) ここに、畝傍山に住んでいた地方長官の息子でタケミオオシの命という方が、カカヨリ姫に夜這いをかけようと、何日も夜ごとに通い続けて、とうとう成就しました。 引用:ウガヤフキアエズ王朝実在論しかし、タケミオオシの命に真っ向から対決を挑んできたツヌミシリの命という男性が現れ、カカヨリ姫はこの二股恋愛に悩んで結局亡くなったそうです。 次に、徳島県での言い伝えで「阿波の北方女の夜這い、男らしくて寝屋で待つ」という言葉があります。
これは昔、豪農の家で、農繁期に若い男女をたくさん雇う。そして、男は下男部屋に、女はひろしき(母屋の内庭の高いところ)に部屋を設けて男女の寝床を区別したので、男部屋から女部屋へは監視がきびしくとても行き難いので、女が外へ小便に出るふりをして男部屋へしのびこむ、ということなのだ。女が男とのところに夜這いするという何とも豪快な話なのだ。 引用:『阿波池田の新酒の会』阿波池田・つるぎ(徳島県)の旅行記・ブログ by 山菜迷人さん【フォートラベル】
「夜這い」が風習のエリア①長野県
エリア | 長野県 |
信ぴょう度 | ★★★★★ |
エロエロ度 | ★★★★★ |
「もう70年近く前のことなんだけども、その頃まではね、このあたりにも、集落ごとに成人の儀式が決まっていてね、私なんかもそれをやった口なんだよ。それはね、もう今じゃ考えられないようなものでさ、それこそ今同じことをやったら、たちどころにテレビや新聞なんかで取り上げられちまう(苦笑)」 引用:Infoseekニュース「たちどころにテレビや新聞なんかで取り上げられちまう」というのは勿論「夜這い」の事です。そして山口さんの年齢から逆算すると、少なくとも山口さんが成人を迎えた昭和10年代頃まで続いていたようですね。山口さん曰く、正月明けの深夜に成人を迎える男達は一斉に家を出て、同じく成人を迎える女の家へと走って行くのだそうです。そしていわゆる「夜這い」という行為に及ぶ訳ですが、他の男の人と重複する事もあって、辿り着いた順番にセックスができるのだそうです。また、女性側はこんな感じなんだそうです。
儀式が行われる晩、見事、「一番槍」を突き立てた男からその想いを伝えられた女は、もしその想いを受け入れる気があるのならば、その後、結婚を前提とした交際関係を認められるのだという。しかし、女が首を縦に振らなければ、一番槍以降も、二番、三番、四番という具合に、朝日が昇るまで複数の男たちと枕をともにすることとなるのだ。 引用:Infoseekニュース女性側としたら結構肉体的に大変ですね。これに関してはご本人のお話なので信ぴょう度は5点満点中5点とし、女性の体力の凄さも考慮しエロエロ度は5点満点中5点としました。
「夜這い」が風習のエリア②南予地域
エリア | 南予地域 |
信ぴょう度 | ★★★★★ |
エロエロ度 | ★★★★★ |
夜這いがそのまま結婚に進むとは限らず、娘が夜這いを許したからとて、若者が夜這いに通っていたからとてそのまま結婚しなくてはならないというわけではなかった。むしろそうした異性交渉も一種の人生経験と見なされ、現在の70から80歳以上の人たちでは男女ともに、結婚前には必ずシロモノ(関係を生じた娘)をもち、シロモノになることは、一度は通らなくてはならない大人への道と考えられていた。 引用:愛媛の伝承文化また、「夜這い」で子どもができてしまった場合、通常は男性の側に引き取られ、両親の子どもとして入籍されたのだとか。なんとも柔軟な考え方ですね。それにこの当たりの地域では「夜這い」は昭和51年の段階でもまだ残っていたそうです。また、こんな事件もあったようです。
、地区民の家に下宿している若い女教師の部屋にヨバイに入ろうとした青年が、女教師の告訴により逮捕されて、懲役一年の刑を受けた事件である。(中略)この事件はたまたま女教師という高等教育を受けたよそ者との間に起こったものであるので、このようなことになったのであるが、農民たちの間であれば別に問題はなかったのである。というのは、大正期以後のヨバイは、普通にいわれているような性的なふしだらが行われていたのではなく、全く若者の娯楽であり、又結婚の相手を見つける手段だったのであり、泉川の若者であると原則として木戸御免で娘の家を訪ねる事が出来たものである。 引用:愛媛の伝承文化但し、高等教育を受けた男女は例外になっていたそうです。これに関しては事件にもなっていた事から、信ぴょう度、エロエロ度ともに5点としました。
「夜這い」が風習のエリア③岐阜県白川郷
エリア | 岐阜県白川郷 |
信ぴょう度 | ★★★★★ |
エロエロ度 | ★★★☆☆ |
かつてこの厳しい山奥の場所には独特の風習、文化があったといい、合掌造りの建物には「夜這い専用の出入口」なるものが設けられています。大家族生活が当たり前の当時、家族の中では長男のみが結婚して一家を継ぐスタイルで、その他の男子兄弟は結婚せず、実家にいながら他の女性たちのもとへ通うという生活が定着していたと言われます。 引用:ニホンタビ長男だけが結婚して、次男以下は「夜這い」をするというスタイルは、ちょっと考えられませんが、当時の風習として存在したのでしょうね。これはエロいのとはまた違って当時の生活の知恵なのかもしれませんね。という事で「白川郷」の信ぴょう度は5点満点中5点。エロエロ度はあまりエロさが感じられないことから5点満点中3点としました。
「夜這い」が風習のエリア④ブータン
エリア | ブータン |
信ぴょう度 | ★★★★★ |
エロエロ度 | ★★★★★ |
「ある地方でお祭りがあって、そこに国王もいらっしゃっていた。それで私のホテルにも、政府随行員と思われる役人たちが泊まっていてね。夕方5時ぐらいかしら。トントントンってドアがノックされたんです」 片野氏が部屋を間違ったのかと思いドアを開けると、初対面の男が立っていた。「入ってもいいかい?」と突然いわれ、片野氏はもちろん「ノー!」。が、30分後、またドアがトントン……。 「一晩で6人きたこともありました。最後は呂律が回らない酔っ払いのおじさんもやってきた(笑い)」 引用:ライブドアニュースこれはいったい何のことかと言うと、ブータンで「ナイトハンティング」と呼ばれる文化で、日本で言ういわゆる「夜這い」なんです。都市部では自粛されていますが、地方の村でもまだこの風習が残っているのだとか。しかし、「夜這い」に行ったからといって直ぐに営みを始めるのではなく、最初は二人で話をして、お互い合意の上での営みとなるそうです。ですから、「夜這い」=レイプとは違うんですね。また、ブータンに関しての本を翻訳・出版された方が以前にブータンに関してこのように述べていました。日本とブータン、やはり似ているんですね。
「失われた日本がここにある。美しい田園があるし、人々は礼儀正しい。夜這いがあるのは女性に対してアプローチしてもセクハラにならないという土壌があるからでしょう。最終的な権利を女性が持っているのも大きい。男からすれば自分を売り込んでなんぼ。失敗したら次を探せばいいんです」 引用:ライブドアニュースここでも信ぴょう度は5点満点中5点。エロエロ度は一夜にして6人という人数から考えて満点の5点としました。
「夜這い」が風習のエリア⑤中国雲南省
【写真館Vol.025】瀘沽湖では、モソ人の民家も訪問します。モソ人は、男性が女性の家へ通う「通い婚」の結婚結婚形態を持っており、子供は母親の家で育てられます。(奥谷)写真はこちら→ #eurasia_photo #tabi http://t.co/edwdS1he— ユーラシア旅行社 中国シルクロード情報局 (@eurasia_china) 2011年10月3日
エリア | 中国雲南省 |
信ぴょう度 | ★★★★★ |
エロエロ度 | ★★★☆☆ |
その麗江から250km程、瀘沽(ろこ)湖は青く光る静かな湖面 と10mを超すという透明度、そして、いまだに生き続ける母系社会と通い婚の里として有名です。最近中国国内の観光客が大量に来るようになりましたが、今も残る母系社会の習慣は日本人の文化の深層部にもつながっているせいか、どこかなつかしい気持ちになります。 引用:風の旅行社そしてそこには伝統的な民族モソ人が住み、男性は嫁をとらずに気に入った女性がいると金や銀のアクセサリーを贈って、相手の反応を確かめるのだそう。そしてもし相手もその気がある場合は贈り物を返し、そこで男性は晴れて女性の家を訪れられるのだそう。
二人の気持ちが確かめられると男性は夜、彼女の家を訪れ朝まで過ごした後、実家に戻り、昼は実家の仕事をします。その関係がどれだけ続くかはお互いの気持ち次第だそうで、子供が生まれても、男は昼は実家に戻り、子供は母親とその兄弟姉妹や祖母によって育てられるそうです。 引用:風の旅行社その通い婚での家の造りは木造2階建てで、2階の路面に面した部屋が密会の場所となるのだそう。この通い婚も母系社会において、限られた財産を分散させないように考えられたものなのでしょう。そしてこのモソ人の伝統である通い婚の習慣もまた、ヒマラヤの反対側のブータンから我々日本にまで広く広範囲に古くから受け継がれてきた習慣でもあるのです。さて、ここでの信ぴょう度は5点満点中5点。エロエロ度はあまり感じられない為、5点満点中3点としました。