AV女優「後藤えり子」のデビュー前から現在までを丸裸に【完全保存版】
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後藤えり子(ごとうえりこ) 1990年AVデビュー。 生年月日: 1968年08月24日 血液型: AB型 スリーサイズ: B86 W59 H84 身長: 163cm 出演作品http://t.co/zBt18RnR1E pic.twitter.com/WtTJgiEmEu— AV女優の動画リスト (@avactres) March 17, 2015
生年月日 | 1968年8月24日 |
出身 | 北海道 |
スリーサイズ | B:86cm(カップ数不明),W59cm,H84cm (1988年時点) |
女優タイプ | スレンダー美少女 |
総出演本数 | 57本 |
受賞歴 | なし |
現在 | 現役か、引退したなら今何やっているか説明 |
AV女優「後藤えり子」の重要トピック5選|デビューから現在まで
やりたい放題の人生を送ってきた後藤えり子。彼女にまつわる面白いエピソードは無数にあります。彼女のデビュー以降のエピソードを時系列に紹介していきます。人間発電所 ’93 後藤えり子(h.m.p) 詳細→http://t.co/2IUEBdsvtW pic.twitter.com/e9icNuy2Cn— AVサンプル画像紹介BOT (@japan_av_sample) June 23, 2014
1988年「AV女優デビュー」
1988年AV界に彗星の如く現れた後藤えり子。デビュー作品はアイビックから発売されたオムニバス作品「バナナ白書・私の下半身」でした。この作品のみ西崎彩名義で出演しています。その後、単体作品「熱き夜のカンタータ」をロイヤルハートからリリースしました。 この頃熱狂的な女子大生ブームだったこともあり、現役女子大生の肩書きを引っさげてのデビューとなっています。当時のプロフィールでも聖心女子大学中退となっています。ただ実はこれはAVデビューのための偽のプロフィールで、本当は北海道にある専門学校に通っていたんです。同じ学生ではありますが、当時は現役女子大生というのは最大のブランドだったので、偽のプロフィールを使ったんでしょうね。特に聖心女子大学とは超お嬢様校なので、本物のお嬢様がAV女優になったというのは注目を集めるのには最高の触れ込みでした。 実際は撮影以外では札幌で過ごし、専門学生として勉強していたという後藤えり子。彼女はのちの人生で語学留学をしているのですが、当時はスチュワーデスになることを目指していました。英検2級を取得するなど勉強も頑張っていたようですが、当時から札幌ではヤリマンとして知られていたようです。当時後藤えり子とヤったという男性はネット掲示板にもかなり出てきており、本物のヤリマンだったことが証明されています。 さてそんなリアルヤリマンとして名が通っていた後藤えり子。当時一大ブームだったディスコに通い、踊りで鍛えたボディはかなりスレンダーで引き締まっていました。この頃はおっぱいはDカップくらいあったと言われています。圧倒的な可愛さで、すぐにAV界の新たなスターとなり、どんどんヒット作を輩出していきました。 彼女のプレイスタイルはとても肉食的。プライベートでヤリマンという彼女は、デビュー作からめちゃくちゃ大胆でかなりヌケると話題になりました。だいたいどんなAV女優でもデビュー作は、ソフト過ぎて残念な仕上がりになってしまうものなのですが、後藤えり子の場合は、デビュー作から中出しを見せつけるなど、全く出し惜しみすることなく激しいプレイを披露しました。 もともとセックスが大好きな女の子でしょうから、いろんなシチュエーションでセックスできることが楽しかったんでしょうね。まさにAV女優になるべくしてなった女性だと言えるでしょう。激しいプレイでガンガン突かれ、アヘ顔を連発しながらイっても、途中で笑顔を見せるなどプレイ自体を楽しんでいた姿が印象的です。 後藤えり子と同じ1988年にデビューしたAV女優といえば、豊丸、松本まりな、葉山レイコ、沖田ゆかりなどがいます。時代を代表するAV女優も多いですね。当時の女性って今の女性よりも大人っぽい印象が強いです。またこの年は、田原俊彦とセックスしたこと暴露した女性が原久美子としてデビューしています。1990年に起きるAVバブルに向けて粒ぞろいのAV女優がデビューした年です。【Legend VOL.4 後藤えり子】#女優 伝説…再び…一世を風靡した伝説のスーパーアイドル。数多くの世の男達が魅了され股間を熱くした。あの頃の激震が今、再び蘇る!!!...http://t.co/3UkhGWnkun pic.twitter.com/NiLWwCB5Nt— おもらし動画zip (@omorashizip) May 18, 2014
1990年「一時引退し渡米、帰国後プロダクションを設立」
AV女優として多くの作品で激しいプレイを披露しながらも、タレントとして当時大人気だった多くの深夜番組にも登場。日本テレビの伝説的深夜番組「11PM」のカバーガールに抜擢されたことからも、後藤えり子がどれだけ人気があったか伺い知れますね。その他にもテレビ朝日の「姫TV」や「朝まで生テレビ」、日本テレビの「EXテレビ」などでレギュラーを獲得するなど圧倒的な人気がありました。 しかし人気絶頂だった1990年4月AVおよび芸能活動を引退して、タレントのマネージメントやAV製作の裏側を学ぶようになります。華やかな表舞台から身を引いて裏方の勉強を始めたのは、その先の人生設計があるからなのですが、見た目とは裏腹にかなりしっかりしていますよね。裏方として経験を積んだあと、渡米し語学を学んだのち帰国。1991年にAV女優として復帰しています。 その一方で自宅を事務所としてプロダクション「オフィス Erie」を設立。実業家としての人生もスタートさせます。しかもこのプロダクションの設立資金は、全てAV女優として自分が稼いだお金だったそうです。あれだけパリピのヤリマンとして遊んでいたにも関わらず、人生設計は完璧ですよね。 後藤えり子がプロダクションを設立したのは、「ポスト後藤えり子を発掘し世に出したい」という願望があったからなのですが、この時発掘されたのがあの飯島愛です。後藤えり子は「業界ナンバーワンの女性を育てる」と宣言していたのですが、その通りAV界に名を残すスーパーレジェンドを生み出すことになりました。まだまだ年齢的にも若かったのですが、かなり見る目がありますよね。 飯島愛をスカウトし、AVの世界に連れてきた後藤えり子。飯島愛にとって後藤えり子は恩人であり、飯島愛はかなり慕っていたようです。ベストセラーとなった飯島愛の自叙伝「プラトニック・セックス」では後藤えり子をモデルとした吉村理沙という女性も登場しています。スカウトされ、1000万円を渡されてAV女優になったという流れなのですが、これも現実に基づいているそうですよ。 後藤えり子はこののち、大麻所持で逮捕されてしまうのですが、薬物使用の噂が絶えなかった飯島愛に薬物を教えたのも後藤えり子だと言われています。飯島愛は不幸な死を遂げてしまいましたが、彼女にとって後藤えり子は人生になくてはならない存在だったと言います。 飯島愛をはじめ、多くの女性をスカウトし育てながらも社長兼AV女優としてAVにも出演し続けました。1992年には飯島愛との共演作「Tバック姉妹 後藤えり子VS飯島愛」もリリースするなど、話題には事欠かない存在として注目されます。1993年までは忙しい合間を縫ってかなり多くの作品にも出演していますし、かなりバイタリティのある女性なことがわかりますよね。1993年「AV女優を引退、ストリッパーに転向」
そんな後藤えり子ですが1993年に2度目のAV女優引退を迎えます。引退後は社長業を継続しながら、ストリッパーに転身。ストリップデビューは浅草ロック座で行われた「後藤えり子ショー」で、20日間連続公演を行なっています。その後も日本全国のストリップ劇場を飛び回りながら、人気ストリッパーとして活躍していました。 この頃、後藤えり子は豊胸手術をしたのではないかと言われています。AV女優時代はDカップくらいのおっぱいだと言われていたのですが、突然胸が大きくなったんです。ストリッパーとして人前で裸を披露する以上、おっぱいを大きくした方がいいという考えだったのかもしれませんね。年齢的にもおっぱいは徐々に垂れ始めてきますが、豊胸すればハリを保つことができるのも一つの理由かもしれません。 浅草ロック座・川崎ロック座・新宿ロック座など当時大人気だったストリップ劇場のほとんどで冠公演を行うなど、人気は不動のものになりました。社長として忙しい日々を送りながらも、ストリップの練習も黙々と続けていたようで、彼女の努力家な一面が垣間見えるエピソードですよね。 連日満員御礼で人気が陰ることはなく、どの公演も大盛況で入れないお客さんで溢れていたと言います。またパフォーマンスの最後には、実際に履いていたパンツを投げるというサービスもあり、このパンツを多くの男が奪い合っていたそうです。後藤えり子の生パンツがもらえるなんて、ちょっとしたパニックになりそうですよね。 ちなみにこの頃は全国を飛び回りながら、三軒茶屋に日焼けサロンをオープンさせています。また、事務所所属の人気AV女優などとテレビ電話を楽しめるという当時では珍しいスタイルのテレクラもスタート。これらのビジネスも当たるのですが、その権利を譲渡して1993年の終わりに再び渡米しています。結果的に2年間アメリカで過ごすことになりました。1995年「実業家として活躍しながらも、逮捕される」
2年間でのアメリカでの生活を終え日本に帰国すると、今度はアメリカで勉強したネイルアートを生かし、ネイルサロンをオープンさせます。また同時にアパレル事業もスタート。これら全てを自分自身で稼いだお金で成り立たせているなんて、本当にすごいですよね。これらのビジネスはしばらくして経営不振で破綻してしまうのですが、 再びストリッパーとして全国を飛び回るようになります。 そんな中、1997年川崎ロック座の公演直後に大麻取締法で、逮捕されてしまいました。どうやらかなり前から見張られていたそうで、川崎ロック座での最終公演を待って楽屋に警察官が踏み込んでの逮捕劇となっています。彼女の自供によると、アメリカで生活していた時に大麻にハマってしまったということです。内定調査を長い間されていたとなると、かなり長い期間所持が疑われてたということですよね。 この時、後藤えり子の本名が渡辺庸子ということも発覚。30歳での逮捕となりました。全国にかなりのファンがいた後藤えり子ですから、多くの男性が衝撃を受けたニュースです。2002年「表舞台から姿を消す」
逮捕後はストリッパーとしての仕事が激減してしまった後藤えり子。1999年には「女帝 後藤えり子」でAV女優としても復帰しています。久しぶりAV界に復帰したことで、ファンは大興奮。30代に突入し、熟れた魅力もアップした後藤えり子の復帰作は大ヒットしています。 その後も数こそ多くないものの、単体作品をリリースし続けたのですが、2002年にAVを引退し、完全に表舞台から姿を消しました。タレコミによる情報によると、引退後はアメリカ人男性と結婚し、ハワイに住んでいるそうです。後藤えり子ほど人気があった伝説のAV女優が日本で生活していくとなると大変ですから、アメリカ人と結婚したのは賢い選択ですよね。 なんでもハワイでサーフィンを習っていた時に出会った、サーフィンのインストラクターが結婚相手なのだとか。黒人とのセックスをAVで披露したこともありましたが、アメリカ人の大きなチンコを手に入れたんですね。ハワイではいくつか目撃情報があり、ネット掲示板を騒がせたこともありましたが、やはり日本に住んでいない分目撃情報も比較的少なく、ひっそりと暮らしているのではないかと思われます。 AV女優として一時代を築き、留学など自分のしたいこともしながら、実業家として頭角を表した後藤えり子。飯島愛という業界ナンバーワンの逸材を発掘し、ストリッパーとしても活躍、その後逮捕されるなど波乱万丈な人生を送っていますよね。それでも最後に幸せな結婚を手に入れるなんて、かなり強運の持ち主と言えそうです。AV女優「後藤えり子」プライベート生活を丸裸に!SNS画像・動画を紹介
後藤えり子が活躍していた1980年代後半から1990年代はSNSなどが存在しておらず、当時の画像などもほとんど残っていません。プライベートも派手で、ディスコに毎晩のように繰り出していた後藤えり子ですから、当時今のようにSNSがあったとしたら、かなりド派手なアカウントになっていたことは間違い無いでしょうね。 そんな彼女ですが飯島愛を発掘したこともあり、彼女とはかなり仲が良かったようです。自分を見出してくれた存在として、飯島愛は後藤えり子をかなり慕っていたようですから、一緒に過ごす時間もかなり多かったよう。「プラトニック・セックス」で出てくる吉村理沙のエピソードも、ほとんどがそのまま後藤えり子のエピソードだそうです。プロダクションの社長として多くのAV女優を抱えていたことから、他のAV女優との交流も活発だったようですね。 そんな後藤えり子の特技はダンス。ディスコで鍛えたダンスで、多くの男を魅了していたのでしょう。あの引き締まったボディもダンスの賜物ですよね。またもともとスチュワーデスを目指していた後藤えり子は、英語もずっと勉強していました。2度も渡米していますし、語学もそのたびにブラッシュアップしていっていたのでしょう。【懐かしのAV女優名鑑】後藤えり子~バブル時代のAV女王「噂にはきいていたけど、ここまでエロい人とは知りませんでした」~ https://t.co/TzmftXXmkV— 俺のAV女優名鑑 (@galtube44) April 17, 2018
AV女優「後藤えり子」のセックス事情やプライベートの噂は?
後藤えり子自身がインタビューなどで過去のセックスや恋愛について語ったインタビューは残念ながら見つけることはできませんでした。でも、後藤えり子に関するタレコミはネットの掲示板にたくさんあふれています。やはりビッチとして、遊びまわっていただけのことはありますよね。後藤まりこと聞いて後藤えり子を思い出し。 pic.twitter.com/78U6FBPjqw— تشيرنوبيل بونيتو★Chernobyl Katsuo◉tAbT (@tabtrockinCK) May 18, 2016
ヤリマン伝説
北海道で専門学生をしながらAV女優としてデビューした後藤えり子。学生時代はかなりヤリまくっていたようで、毎日男が学校に迎えに来ていたそうです。その男も一人というわけではなく、毎回違う男が来るのでかなり話題になっていたそう。 ネット掲示板には、北海道時代に後藤えり子とヤリまくっていたという男も登場しています。その男性によると、自分が後藤えり子と関係を持っていた間にも、彼女は複数の男と同時に関係を持っていたそうです。さすがビッチ伝説を持っているだけありますね。 連日のようにディスコに現れていた後藤えり子は、その度に男をハンティングしてお持ち帰りしていたそう。ダンスが特技といいますが、男を捕まえるための特技とも言えそうですね。AV女優になる前から、かなりの経験人数になっていそうです。 デビュー作から中出しOKなど、かなり激しいセックスを披露していた後藤えり子。プライベートでもかなり大胆なプレイを楽しんでいたんでしょうね。AVでどんな激しいプレイをしてもリアリティがあったのは、それが後藤えり子本来の姿だったからなのでしょう。 掲示板には後藤えり子を含めた男女入り乱れての乱交をしたことがあるという人、またキメセクをしたことがあるという人まで登場しています。どこまでが本当のことかはわかりませんが、彼女ほど有名な女性になるといろんな噂が付きまとうのでしょうね。全てが本当では無いでしょうが、半分くらいは真実なのではないでしょうか。セックスも英語で!?
現在はアメリカ人男性と結婚し、ハワイで生活している後藤えり子。もちろん今は英語で生活しているでしょうし、旦那さんとのセックスも英語でしているんでしょうね。洋モノのAVを見るとわかりましたが、外国人のセックスって男も女も喘ぎまくっている印象があります。AV作品でもかなり喘ぎ声が激しかった後藤えり子ですから、旦那とのセックスもすごいんでしょうね。 1993年から2年間渡米していた後藤えり子。その後逮捕された時に、アメリカで覚えた大麻の快感が忘れられなかったと話しているのですが、おそらくアメリカではキメセクをヤリまくっていたのではないでしょうか。日本でAV女優になってからも素人の男性とヤリまくっていた後藤えり子ですから、アメリカでも性欲が我慢できていたとは思えません。 おそらくアメリカ人と激しく乱れまくっていたんでしょうね。大麻をやりながらのセックスであれば、かなりクレイジーなものだったのではないかと思います。英語で激しく叫びながらセックスしていたのかと想像すると、めちゃくちゃ興奮しますよね。AV女優「後藤えり子」のオススメ動画5選
一時代を築いた伝説のAV女優・後藤えり子。彼女のAV作品は痴女っぷりが激しくど変態な作品ばかりです。今回は現在配信で見ることができる作品の中からオススメの5作品を一挙紹介します。後藤えり子 Exiciting Colour マドンナメイト写真集/1989年1月25日・初版//文庫サイズ/マドンナ社入荷しました。 https://t.co/RRye4slBxe 文献書院&ブンケンロックサイドにて出品中 #古本 #通販 pic.twitter.com/1sdHhJZe4A— 文献書院&ブンケンロックサイド (@bunkenandrock) October 14, 2016