1990年代を代表するAV女優10人|浜崎あゆみ似の女優も存在

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「90年代に人気だったAV女優が知りたい!」「最近のAV女優はヌキ尽くしてしまったよ!」とお悩みのみなさん必見です。今回は1990年代を代表するAV女優を10人紹介します。移り変わりの早いAV業界なので、90年代に活躍した女優さんを現在でも見ることはほどんどありませんが、当時の映像を見ると最高の作品ばかりです。現在もレベルの高い女優がたくさんいますが、昔も負けていませんよ!

皆がヌイた懐かしの90年代AV女優10人

では最初に今回オススメする90年代のAV女優を紹介します。超有名女優から懐かしの女優に、少しの期間しか活動していなかった幻のAV女優など多種多様です。 ・「桜樹ルイ」 ・「白石ひとみ」 ・「小林ひとみ」 ・「飯島愛」 ・「憂木瞳」 ・「浅倉舞」 ・「あいだもも」 ・「松坂季実子」 ・「美里真理」 ・「卑弥呼」 以上の女優についてくわしく紹介してきます。現在のAV女優に飽きてしまった方は伝説のAV女優たちを新たに発掘してみてはいかがでしょうか?昭和世代は懐かしい気持ちで、平成世代は新たな発見にワクワクしながら見ていきましょう!

「桜樹ルイ」

生年月日 1969年3月8日
スリーサイズ B:86cm(Dカップ),W59cm,H86cm
活動期間 1989〜1996年まで
女優タイプ ダイナマイトボディ、痴女
現在の状況 不明
オススメ作品 BEST4時間 桜樹ルイ
1990年代を代表するAV女優として必ず名前が挙がるのが「桜樹ルイ(さくらぎるい)」です。10000本売れれば大ヒットと言われた90年代のAV業界で、毎回80000~100000本をコンスタントに売り続けた彼女はまさに伝説的なAV女優と言えるでしょう。その活躍ぶりから「AVクイーン」という呼び名が付くほどでした。 AVクイーンこと「桜樹ルイ」は1968年生まれの埼玉県出身です。元々アイドルとして活動していた彼女ですが、あまり人気が出ずにAV業界にデビューします。アイドル時代はおニャン子クラブのオーディションに応募し落選、「相沢美紀」という名前でモモコクラブ桃組に所属、「一の瀬雅子」に改名してグラビアアイドルとして活動と試行錯誤していましたが花開くことはありませんでした。 そんな時に友達がAV女優の面接を受ける時に、付き添いとしてついていったのが人生の転機になります。その面接会場にいたのが昭和を代表する有名AV監督・村西とおる氏。村西監督がその場で彼女の魅力に気づき、現金300万円(現在だと600万円ほどの価値)を手渡しし強引に契約を結んだのです。 そこから彼女の伝説が始まり、デビュー時から超人気女優になります。発売する作品が全て80000本を超えるという人気ぶり。「91’AV大感謝祭」ではグランプリを受賞、イベントは必ず1000人以上が集まり、AV女優がここまで注目されるのは初のことでした。人気すぎてあまりのハードスケジュールから彼女が撮影を飛ぶ事件まであるほどです。 そして1991年にAV業界を引退し、女優としてテレビに出演していきます。ですがAV女優のイメージが強すぎて、テレビでもお色気担当としての出演が多く、本人はその不満からすぐにテレビの仕事から引退するのです。その後はストリッパーとして浅草で活躍し、1日34万も稼ぐ伝説のストリッパーになります。2000年にはストリッパーも引退して普通の生活をされているようです。 スタイル・ルックス・テクニックの三拍子全てが揃った伝説のAV女優「桜樹ルイ」をぜひ一度見てください!1991年にAV業界を引退した彼女ですが、あまりの人気ぶりでファンの為に取り下ろした「完全引退作品:さよなら桜樹ルイ 伝説から神話へ」が1996年に発売されています。特に彼女のフェラチオシーンは評価が高いので、注目して見てください。AV男優たちが骨抜きにされていますよ。彼女のフェラチオ技術の高さを語るエピソードとして、今まで8000人以上抱いてきたベテラン男優「田淵正浩」の存在は隠せません。
--観月マリに続く名器で憶えている人は? 田淵 何人かいますね。地味な存在ですけど、冴木直さんていう人、あの人もめちゃくちゃ名器です。あと小室友里さんも名器ですね。で、フェラチオが一番上手いのは桜樹ルイさんですよ。過去トップです。 引用:デラべっぴん
伝説のAV男優が今まで一番上手いと感じたフェラチオがまさかの桜木ルイでした!
--ルイちゃんのフェラは他の女優と何がどう違ったんですか? 田淵 丁寧。わざとらしくないというか、演技じゃなく一生懸命に本当にやってくれてるんだなぁというのが伝わるフェラで、しかも的確に全部やってくれるんですよ、ローリングしたり。でもそれがね、私はテクニック使ってやってるんですよ、というシラけた感じが一切ないんです。 引用:デラべっぴん
愛情の感じるフェラチオは田淵正浩を感動させるほどの舐めっぷりだったようです。
--聞いてるだけで勃起しそう! デキた風俗嬢の所作とは違うんですね。 田淵 そうです。風俗嬢でもいると思うんですけどね、このチ●ポをいとおしいと思って舐めてくれるプロ中のプロって。桜樹ルイさんはそのトップ・オブ・ザ・トップのレベルですね。 --ルックスもトップクラスですからね。 田淵 あの人は美人だし、挨拶もちゃんとするし、賢いし、もう言うことないですよ。 引用:デラべっぴん
AV男優をここまで言わせる桜樹ルイは絶対にチェックしましょう!あなたもファンになること間違いなしです。

「白石ひとみ」

生年月日 1971年12月25日
スリーサイズ B:82cm(Cカップ),W58cm,H85cm
活動期間 1990〜1995年まで
女優タイプ アイドル風
現在の状況 脚本家として活躍
オススメ作品 ひとみの若妻白書 白石ひとみ
アイドル顔負けのルックスと透明感で人気だったのが「白石ひとみ」です。1990年にデビューしてから一気に超人気女優になり、同年にAV業界を引退します。ですが根強い人気があり1991年に再デビュー。1年間の空白があるにも関わらず、復帰してもすぐに超人気女優に戻るという伝説を持っています。 アイドルよりもかわいいAV女優と言われる「白石ひとみ」は1971年生まれの東京都出身です。AV女優になるまでは普通の学校に通う、普通の女の子でした。全くAV業界とは縁のなかった彼女ですが、街中でスカウトされ遊び半分でスカウトマンについていったのです。そこで知ったのが自分の母校の先輩「星野ひかる」がAV業界で大活躍していることでした。「校内で有名な美少女だった星野ひかるさんが出ている世界なら、やってみてもいいかもと心変わりしました。」とその場で契約を交わします。 AVデビューするまでの経験人数はまさかの3人!そんな彼女がAVデビューしたので、反応もとってもウブ。素人のような雰囲気が人気に火をつけました。アイドルのようなルックスの、ウブな少女が恥ずかしながら、一生懸命フェラチオをする姿は、90年代の男たちの股間を熱くさせたのです。綺麗で黒く艶のある髪の毛・アイドル並みのルックス・白くてハリのある肌、まさにクラスのマドンナ的存在を思い出させてくれます。 そんな透明感たっぷりの彼女のデビュー作はレジェント男優として有名な「加藤鷹」との絡みでした。エッチなインタビューを受けて戸惑いながら答える姿が可愛すぎます!さらに加藤鷹に犯されるシーンだけではなく、自らおまんこを弄り出すオナニーシーンもあるのです。顔を真っ赤にしながら恥じらいつつ、自らの秘部を弄るシーンはたまりません。好きな女の子のオナニーシーンを見ているような気分になります。 ちなみに1990年、突然の引退はAV業界の仕事をしていたことが、親にバレたことがきっかけです。1991年の再デビューまでかなり期間が空きました。そこから1年間も親を説得しつづけたのでしょうか。それでもファンの支えがあり、復帰後すぐに人気女優になるのです。そんな彼女は3年間AV女優として活躍し、1994年にAV業界から引退します。その後はアイドル並みのルックスを活かして女優として再スタートするのです。 出演していた有名な作品で言えば ・難波金融伝 ミナミの帝王6 欲望の街(1995年9月1日 Vシネマ) ・金田一耕助の傑作推理「呪われた湖」(1996年1月2日、TBS) ・さすらいのトラブルバスター(1996年8月10日、松竹映画) ・ギフト 第5話(1997年5月14日、フジテレビ) ・新春ドラマスペシャル「ナニワ金融道3」(1998年1月5日、フジテレビ) などが上げられます。 そして1998年には女優業も引退し、脚本家「落合雪恵」として活動をしていきます。40代後半になった今でも美貌は変わらず、美しいままらしいですよ!90年代を代表するAV女優として、必ず名前の上がる1人なので、一度作品も見てくださいね。

「小林ひとみ」

生年月日 1963年9月2日
スリーサイズ B:82cm(Cカップ),W58cm,H88cm
活動期間 1986〜2003年まで
女優タイプ 清純派
現在の状況 不明
オススメ作品 生贄夫人 優月まりな
AV女優という職業を確立させたといっても過言ではない伝説の女優が「小林ひとみ」です。1人で60億円以上稼ぐほどの超人気女優で、アダルトビデオを普及させた人でもあります。1980年後半はVHSビデオデッキの普及もまだだったので、家でエッチなビデオを見る習慣がありませんでした。大抵の男子はエロ本を使ってオナニーをする日々だったのです。 1986年にデビューした彼女は、『最初は11PM』や『トゥナイト』など深夜番組のアダルト特集で紹介されてから一気に知名度があがります。その頃はまだエロ本の方が普及率が高く、よく売れたのです。ですが「小林ひとみを静止画でなく動いている姿で見たい!」という男が増えVHSビデオデッキが一気に普及します。男のエロパワーはすごいですね。一気に市場が変わるくらい影響を及ぼしました。 VHSビデオデッキの普及により、家でエロビデオを見るのが普通になり、「AV女優」という仕事が確立されたのです。もう少し前から「AV女優」という仕事はありましたが、世間一般的に確立するまでになったのは彼女の活躍があってこそ。なぜそこまでして男性たちは小林ひとみを見たかったのかというと、圧倒的にかわいいルックスを小林ひとみが持っていたからです。アイドルでも活躍できるルックスの19歳。最高な女のセックスシーンが見れると知って、VHSビデオデッキをすぐに購入したのでした。 そんな時代を変えるほどの、影響力があった彼女ですが、AVデビューにあたってはあまり乗り気でなかったみたいです。もともと芸能タレントとして活動していた彼女に「ラブシーンのあるビデオ撮影をしないか?」と言われ騙され行ったのがAVの撮影。流石に「撮影はできません!」と断ろうとする小林ひとみに対して監督は4時間以上の説得を行ったそうです。 最終的には「本番ナシ」という約束で契約を結ぶことになり、デビュー作『禁じられた関係』が発売されました。なんとこれが5万本を超えるセールスを記録する大ヒットとなるのです。 「本番ナシ」という約束で契約を結ぶことでデビュー作の出演を承諾した彼女ですが、実はそれ以降も「本番ナシ」で撮影を続けていた珍しい女優さんです。2003年までAV女優として活動していましたが、一度も本番ナシで突き通したのが凄すぎます。モザイク越しで挿入されているふりをして演技をしているのですが、演技に見えないくらい迫力があるので、本番ナシでもヒットし続ける理由に納得です。 ちなみに本番ナシに耐えられなかった男優が、我慢できずに挿入しようとしてクビになったエピソードまであります!でも目の前に最高の美女がいて、生殺しの状態なら仕方ない気もしますね。 超売れっ子だった当時の睡眠時間は1日4時間で、あとはすべてAVの撮影やイベントの出演で大忙しだったようです。1989年に事務所の社長と結婚し、引退するまでその生活を送っていました。その後1991年にストリッパーとして復帰、有名ストリップ劇場『浅草ロック座』はもちろん、全国ツアーも展開し大盛況!テレビでしか見たことのない伝説のAV女優が生で見れるということで、男性たちが長蛇の列をつくりました。 そして1998年にAV業界に復帰し2003年引退をします。19歳のデビューから12年経っていましたが、ファンたちからの人気は冷めることなく熟女ジャンルでも、大人気の女優になるのです。なにをやっても絶対に活躍する彼女はまさにレジェントAV女優と言えるでしょう。作品数もたくさんあるので自分のお気に入りを見つけるのもいいかもしれません。

「飯島愛」

生年月日 1972年10月31日
スリーサイズ B:86cm(Dカップ),W56cm,H85cm
活動期間 1992〜2007年まで
女優タイプ モデル、褐色ギャル
現在の状況 2008年12月17日に死去
オススメ作品 レイプ狂い 飯島愛
AV女優だったことを知らない人も多いかもしれませんが、「飯島愛」も90年代に活躍したAV女優の1人です。タレントとして2000年の流行語大賞にて「ワタシ(私)的には…」のフレーズでトップテン入賞や、2008年にビートたけしのエンターテインメント賞にて、特別賞を受賞するなどAV女優の印象はあまりないですよね。しかし1992年から1994年の2年間、AV女優として活動していました。 もともと六本木のホステスとした働いていたところにスカウトが来て、AVデビューがきまります。ホステスで働く前は高校を中退し、非行を繰り返す毎日だったみたいですが、それを見かねたホステスのママが気にかけて面倒を見てくれていました。「飯島愛」という名前はその時んママがつけてくれた源氏名です。「みんなから愛される子になるように」という意味を込め付けられた名前で、この源氏名を使ってAVデビューします。 その後はAVの仕事をこなしつつ当時大人気だった深夜番組「ギルガメッシュないと」に出演したり、「ナイショ DE アイ!アイ!」というタイトルの曲で歌手としてもデビューしたりと積極的に活動を広めていきます。番組内にて良くTバックを見せることが話題になり、「Tバック女王」と呼ばれるようになり、テレビ番組のお色気担当としてさらに人気に火がつくのです。テレビ出演することにより、AVの売り上げも伸びていくという相乗効果でどんどん有名になります。 そしてAVデビューから2年後の1994年にAV業界を引退し、タレントとして活動してきます。人気バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』や、元SMAPのリーダー中居正広さんが司会を務める「金曜日のスマイルたちへ(金スマ)」に出演するなど、持ち前の明るいキャラクターと、歯に衣着せぬズバズバ発言でいろんな番組から引っ張りだこでした。しかしAV女優として働いていた過去を事務所側は消したくて、テレビ番組内で「飯島愛は元AV女優だ。」と匂わすような発言はタブーとされたのです。飯島愛がAV女優ということを知らない人が多いのはそれが理由です。 2000年には半自伝的な小説『プラトニック・セックス』を発売し、世間を賑わせます。内容は衝撃的なもので、リンチ被害・AV出演や性病感染・中絶手術・整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーになるのです。さらに映画化・ドラマ化され人気を確立していきます。そして2007年に体調不良を原因に芸能界から引退。引退報告に数多くのファンが悲しみましたが、今まで活動してこれたこと自体が奇跡なほど体がボロボロであることを告白し、逆にファンからは「ありがとう」という声がたくさんあがりました。 ホステスのママがつけた名前の通り「みんなから愛される子になり」引退したのです。ですがやはり体は病気に犯されており、2008年に肺炎で亡くなってしまいます。『中居正広の金曜日のスマたちへ』では300回記念スペシャルにて追悼特集を放送。飯島愛の本葬(お別れの会)では、親交のあった芸能人をはじめ約1500人が参列。ブログでは閉鎖する2015年までコメントが毎日殺到するほど、亡くなってからも大人気のタレントさんでした。AV女優として大活躍したことで、ここまで人気のあるタレントになったのです。 そんな彼女の魅力はモデルさんのようなスレンダーボディと、引き締まったお尻です。褐色肌のおボディがまたいやらしく、まさにエッチなお姉さんの象徴のようなAV女優でした。現在では廃盤になっている作品も多いですが、人気のある作品は残っているのでタレントの飯島愛ではなく、AV女優の飯島愛も要チェックです。

「憂木瞳」

生年月日 1973年8月31日
スリーサイズ B:83cm(Bカップ),W58cm,H83cm
活動期間 1992〜2006年まで
女優タイプ スレンダー、痴女
現在の状況 不明
オススメ作品 憂木瞳のうらの裏
1990年代に様々な名義で活動していたAV女優が「憂木瞳」です。「憂木瞳」という名前以外に「中山 アンナ・工藤 あずさ・憂木 ひとみ・石黒 樹里」という呼び名でも活動していました。90年代のAV女優は本番の挿入はナシで契約していることが多かったのですが、彼女は本番アリの女優として有名になり、デビュー当時から人気女優になります。 1992年に新宿でスカウトされてデビュー。デビュー前は普通の美容専門学生で、AVのお仕事もすぐやめようと考えていたみたいです。ですが本人の思いとは裏腹に一気に人気女優になったため、やめるにやめられない状況になってしまいます。この頃は「憂木瞳」と「中山アンナ」と「工藤あずさ」の3つの名義を使って活動していました。 その人気はとどまることを知らずに、超人気深夜番組「ギルガメッシュないと」に出演します。そこでもルックスの良さと、愛嬌たっぷりの笑顔でアイドル的存在として人気を得るのです。特に「夜食バンザイ」というコーナーで裸エプロン姿を披露し、当時の男の子たちの股間を熱くさせました。そのまま「マンゴ・ナタ・デ・ココ」というタイトルの曲を出し歌手デビューもします。AVにもテレビにも引っ張りだこの女優になるのです。 ギルガメッシュないとの企画では浅草ロック座でストリッパーとして特別出演することになり、300人の会場に1000人以上の客が押し寄せるというパニックまで起こすほどでした。 そんな彼女ですがあまりの忙しさに嫌気がさして、1994年に突如芸能界から失踪します。そのまま行方がわからなくなり、事務所側が仕方なく引退発表をおこないました。これには世間もびっくり、ニュースにもなったのです。ですが翌年の1995年にはけろっと姿を見せ、簡単にテレビ業界に復帰してしまいます。そしてAV業も「憂木ひとみ」と芸名を変え2002年から再開します。 その後すぐに2003年に引退しますが、2004年に芸名を「憂木瞳」に戻して再デビュー。スローペースながらもAVに出演していました。 そして2012年には「石黒樹里」と名義を変え熟女女優として、再スタートします。ですがあまりにも見た目の衰えがすごく、ファンからも困惑の声が上がりました。しかし2013年以降AVのリリースがなく、引退宣言はしていないものの、活動は全くしていません。今後新しい情報が入ればすぐにお伝えします。 オススメはデビュー当時の作品で、その当時だと激レアの無修正作品もあり、エロエロです。熟女ものが好きであれば「石黒樹里」の作品をチェックすることをおすすめします。

「浅倉舞」

生年月日 1972年11月8日
スリーサイズ B:88cm(Eカップ),W59cm,H86cm
活動期間 1992〜1995年まで
女優タイプ グラマラスボディ、お姉さん
現在の状況 不明
オススメ作品 あぶない放課後 新・女教師スペシャル 浅倉舞
元メジャーリーガーの松井秀喜も絶賛していたAV女優が「浅倉舞」です。彼女も90年代のAV業界を支えてきた内の1人でしょう。AV業界が不況の中、彼女の出演する作品はヒットを飛ばし、所属事務所の「芳友舎」に大きく貢献しました。ですが複数キャストのレーベル、エイトマンに良く起用されていたため、単体もの作品が少なく残念です。 そんな彼女がデビューしたのが1992年で、芳友舎・ティファニーの看板シリーズ「処女宮」に出演します。その当時に同じ事務所であった看板女優の「葉山レイコ・星野ひかる」を超える逸材として期待されていました。キャッチコピーは「衝撃度は、葉山レイコを凌ぎ/過激度は、星野ひかるをも超える」というもので、事実デビュー時から別格の雰囲気を放っていたのです。 アイドルのような可愛さと、高級ホステスのような気品のあるただずまいがあり、新人とは思えないほど、過激なプレイを披露。さらに珍しいのが両親公認ということです。なので浅倉舞は積極的なメディア展開を行うことができ、一気に人気女優になります。あっという間に「葉山レイコ・星野ひかる」を超えることになり、世の男性陣で浅倉舞を知らない人はいないくらいの認知度になるのです。 さらに元メジャーリーガーの松井秀喜がヒーローインタビューの際に「好きな女優さんは誰ですか?」と聞かれ「浅倉舞です!」と堂々と答えたのは伝説になっています。 松井秀喜も大好きな浅倉舞の魅力といえば、圧倒的なプロポーションの良さでしょう。身長158cm、スリーサイズB:88cm(Eカップ),W59cm,H86cmは当時のAV業界の中ではトップクラスなスタイルの良さです。大きなおっぱいにも関わらず、キュッとくびれた腰回りに、ぷりんとした丸いお尻。さらにルックスも完璧となれば人気が出ないわけがありません。 その人気はAV業界だけにとどまらず、映画や声優、テレビなどにも出演しました。さらには写真集や雑誌も出版され、当時の有名な成人誌「オレンジ通信」では表紙を飾ったこともあるのです。 1995年の引退後は高級風俗の吉原に勤め、浅倉舞のファンたちは夢のような時間を楽しむため、連日連夜吉原に通いました。それでもまったく予約のとれないほどの人気嬢っぷりで、あの松井秀喜も通っていたみたいですが、結局一度も会える事はなかったらしいです。 引退してからも人気は根強く、ファンからも熱望され1999年に期間限定でAV女優として活動します。合計9本の作品を出し完全に引退しました。現在でも通用するルックスとスタイルの持ち主なので、彼女の作品を是非とも見てください。

「あいだもも」

生年月日 1970年6月18日
スリーサイズ B:82cm(Eカップ),W55cm,H80cm
活動期間 1990〜1996年まで
女優タイプ スレンダーモデル、清純派
現在の状況 一般女性
オススメ作品 ECSTASYCOP あいだもも
元トップモデルのAV女優が「あいだもも」です。蝶タイをしたウサギのトレードマークが懐かしい、アメリカで最も有名な成人雑誌『PLAYBOY』。その専属グラビア・モデルであるプレイメイトジャパンの1989年グランプリがあいだももでした。そんなトップアイドルである彼女がAV女優に転身ということで、世間は大騒ぎしました。1991年にデビューした瞬間から、超人気AV女優になり、出演した作品が全て大ヒットしたのです。 しかしそんな人気絶頂のさなか、あいだももは急にAV業界を引退します。理由は結婚によるものでした。結婚相手はお騒がせ俳優で有名な「高知東生(たかちのぼる)」。女癖が悪くて有名な彼との結婚に、デビュー時と同じように世間はまたも大騒ぎしました。ちなみにこの引退で、元SMAPの木村拓哉も涙するなど、当時のあいだももショックが大きかったことが伝わります。
キムタク「芝居で泣く時には、あいだの引退のことを考える」 引用:高知東生元嫁あいだもも画像!ビデオで共演し結婚!キムタクもファンだった!?
そんな木村拓哉すらも泣かせるAV女優だったあいだももですが、引退から5年後の1996年に再デビューします。理由は離婚によるもの、高知東生の女癖の悪さに嫌気がさしての離婚でした。この電撃再デビューもメディアに大きく取り上げられ、またまた世間を賑わすことになります。5年経ってもスリーサイズ82cm(Eカップ),W55cm,H80cmのモデルボディに衰えはなく、男性陣の股間を熱くしてくれました。
高知東生は不倫もしていました。高知東生は前妻の頃から不倫そしてお薬といけない事に手を染めていたという噂があるようです。 引用:高知東生の前妻・あいだももって誰?離婚は井上晴美との不倫が原因?
ですがまたもや一年も経たないまま、AV女優を引退してしまいます。その後はストリッパーとして浅草ロック座で活動をしていました。そのほかにもTVや映画など女優業やタレントとしても活躍し1997年に一般人男性と再婚をし、完全に引退します。デビューに引退、結婚に離婚、再デビューに再婚と全ての出来事がメディアに取り上げられ、世間を賑わす彼女はまさに90年代を代表とするスターAV女優でした。 AV女優としての活動が短い文作品数も少ないのですが、抜ける作品はたくさんあります。彼女の作品を一度見ていただければ、世間がなぜあれほど彼女に注目したか分かるはずです。童顔でキュートなルックス、完璧なプロポーションの彼女が乱れる姿は最高に興奮します。

「松坂季実子」

生年月日 1969年10月21日
スリーサイズ B:110cm(Hカップ),W60cm,H90cm
活動期間 1989〜1990年まで
女優タイプ 爆乳、グラマラス
現在の状況 一般女性
オススメ作品 The Best of No.1 Special Selection 2
90年代を代表する爆乳AV女優といえば「松坂季実子」です。90年代の当時は「巨乳=頭が悪い」といったイメージがあり、タレントやAV女優の中でも巨乳な女性は少数でした。そんな世の悪いイメージを変えたのが松坂季実子なのです。そもそも巨乳といった言葉も松坂季実子が、AVデビューしてから世に浸透した言葉で、彼女の影響力の強さがわかります。 そんな彼女の公式プロフィール、バストサイズは「110.7cm(Hカップ)」と書かれているのですが、これは「良い女」の語呂合わせです。これには「巨乳とは女性の美しさを表現する雅なもの」という監督の思いが込められていました。それを見事に体現するように松坂季実子は一気に人気女優になるのです。出演した作品の売り上げが必ず1億円を超え、AV業界に巨乳ブームを巻き起こしました。 巨乳女優のパイオニアである彼女ですが、AV女優としてデビューする前は全く自分に自信がない、イイトコ育ちのお嬢さんでした。父親は海上自衛隊の幹部であり、厳しく育てられてきた彼女。AVに出演したきっかけも「整形するお金が欲しいから」と自分を変えたい一心での応募だったのです。なのでAVへの出演もこの一本だけにする予定でしたが、デビュー作品が大ヒットし、親にもバレることになり、腹を決めたAV業界に飛び込みます。 毎月1日を「巨乳の日」と称して新作をリリースし、さらに人気女優として突っ走ります。これを真似て他のAV会社も巨乳のAV女優をたくさんデビューさせたのです。そのまま彼女の人気は、どんどん伸び続け雑誌やTVなど各種メディアの出演もしていきます。さらにはドラマやバラエティの出演にも挑戦し、とうとうAV業界を引退しタレントとして成功を収めるのです。 その後もセクシーおっぱいキャラとして、活躍する彼女ですが、1991年に突然芸能界から引退してしまいます。理由は全くわからないままの引退で、世間をにぎわせました。その後は広告代理店の派遣社員として、目撃情報があるなど、一般の女性として暮らしているようです。あんなエッチなおっぱいをしていたらどこにいってもばれてしまうでしょうね。 おっぱいフェチは松坂季実子をチェックせずにおっぱいを語るべからず。と言っても過言ではないほど、AV業界に巨乳ジャンルを作り上げたレジェント女優なので一度チェックしておきましょう。白くてムチムチな彼女の爆乳は興奮すること間違いなしです。

「星野ひかる」

生年月日 1970年12月14日
スリーサイズ B:82cm(Dカップ),W52cm,H82cm
活動期間 1993〜1996年まで
女優タイプ 清純派、色白スレンダー
現在の状況 一般女性
オススメ作品 復刻 女尻 美里真理
わずかな期間で活動していないにも関わらず、レジェント女優と言われるのが「星野ひかる」です。彼女の活動期間は1990年から1991年の間で、実質一年も活動していません。それなのにレジェントと言われるのが圧倒的なルックスの良さです。出演本数も全部で8本にも関わらず、世間を賑わし人気女優になるほどのルックスの持ち主でした。 当時のAV業界では10,000本売れれば大ヒットと言われていたところ、彼女のデビュー作は30,000本を売り上げる超ベストセラーになるのです。 そんな彼女の魅力を一言で表すと「天使」という言葉がぴったりでしょう。清純派でアイドルのようなルックスの18歳。色白で肌にはハリがあり、透明感たっぷりです。 なんと女子高生の時からスカウトに声をかけられており、卒業と同時にやっと契約したエピソードも。ずっとスカウトに目をかけられていたのですね。でもそれも納得できるほどの、美少女ぶりです。デビュー作では演技ではなく涙を流すシーンもあり、それがまた男性陣の心を鷲掴みにしました。 その後人気絶頂中の中で引退し、数多くのファンたちが落胆したのです。おそらく彼女自身は最初からAV女優を続ける気はなく、お小遣い稼ぎと思い出演したのでしょう。それがまさがこんなに大ヒットになるとは思いもよらず、彼女自身もびっくりしたのだと思います。その後の彼女はたい焼き屋さんで働いているのが目撃されたりと、一般女性として暮らしているようです。 一年も経たない期間での活動にも関わらず、大人気AV女優になった星野ひかる。そんな彼女の天使のような雰囲気とルックスに興奮すること間違いなしです。アイドルとしてデビューしても活躍できるほどの彼女が、恥ずかしそうにAV撮影をしている様子はたまりません。是非一度は見ていただきたいおすすめの女優さんです。

「卑弥呼」

生年月日 1971年9月3日
スリーサイズ B:90cm(Eカップ),W60cm,H89cm
活動期間 1990〜1993年まで
女優タイプ ダイナマイトボディ、モデル
現在の状況 一般女性
オススメ作品 Legend 卑弥呼
ミス日本の東京代表として活躍した元トップモデルAV女優が「卑弥呼」です。身長165cm、スリーサイズB:90cm(Eカップ),W60cm,H89cmの圧倒的なプロポーションを武器に、一気に大人気になります。 1990年にデビューする際の出演料はなんと「1本500万円」。当時の出演料の最高額と言われています。現在の価値に直すと1000万円ほどの価値になるので、それだけの出演料を積まれると、ミス日本の東京代表でも「AVに出演しようかな。」と思ってしまうのも無理はありません。 またスタイルだけはなく、ルックスも最高で性格も明るく、開けっぴろげな性格で、男が妄想する理想のエッチな大人のお姉さんでした。短い期間の活動でしたが、AV女優としての全てを兼ね備えていた彼女は、多くの熱狂的なファンを抱えます。 1991年にAV業界を引退した後もグラビアモデルで活動できるほどのポテンシャルの持ち主でした。普通なら売れないグラビアアイドルがAV女優になるのですが、全くの逆でも活躍できる彼女は流石としか言いようがありません。 ですがやはりファンからするとグラビアモデルだけでは、もの足りず卑弥呼のセックスシーンを求めます。それに答え1993年に期間限定でAV女優に復帰します。ファンのために6本のAVに出演した後完全に業界から引退したのです。その後はOLとして働いている姿の目撃情報があり、一般女性として暮らしているのでしょう。 現代でも十分活躍できるルックスとプロポーションを持っている彼女。作品でもその最高級のスタイルを惜しげもなく披露しているので、見る価値満載です。整形なしの天然ボディ&フェイスは男の妄想を全て叶えてくれます。ミス日本でヌキヌキしてください。

90年代のAV作品でも抜ける要素が満載!

今回は1990年代を代表するAV女優を10人紹介しました。昔の女優だと思って見逃していませんでしたか?90年代のAV女優の中にも、最高に興奮するレベルの高いAV女優はたくさんいるのです。現代ではどんどんAV女優のレベルが上がっていますが、昔も負けていません。今回を機に、AVを探す際はひと昔前の作品をチェックするのもいいかもしれませんね。 以上、風俗部編集部からのお届けでした。 ◯関連記事 ・AV女優「夕樹舞子」のデビュー前から現在までを丸裸に【2020年最新版】AV女優「吉田えりか」のデビュー前から現在までを丸裸に【2020年最新版】